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★災害時に一番使えるスマホ充電方法はどれ?

地震や台風で停電してしまってスマホの充電が切れそう…。
災害に備えて非常持ち出し袋に充電グッズを用意したい。
そんなときに役立つ方法をご紹介します。
【 結論 】
(1)もし被災地から離れることが可能であれば、停電していない地域に行って充電するのが一番
(2)防災グッズの中でおすすめは
電池式充電器とモバイルバッテリー
余裕があれば、大容量ポータブル電源とソーラーパネル
(3)故障やバッテリー切れの可能性も考えて、複数の充電方法を準備しよう
ということで、大まかな一覧表が以下の通りです。
評価基準はブログ執筆者の主観ですので、参考程度にどうぞ。

※車やパソコン・スマホ等の本体代、電気代は含みません
以下の解説は長くなるので、目次をつけておきます。
気になる箇所だけでもどうぞ~
★はじめに 充電器と一緒にUSBケーブルも準備しよう

たいていの場合、充電器を買うと一緒にUSBケーブルもついてきますが、ご自分のスマホとケーブルの規格が合わなければ充電することはできません。
主に、
iPhoneはライトニングケーブル、
AndroidスマホはタイプCかマイクロUSBです。
タブレットや携帯用ゲーム機の規格も確認しておきましょう。
ケーブルは何本か準備しておくと安心です。
なお、100円などの激安商品はあまりおすすめしません。
充電できない(遅い)、スマホが壊れるなどのトラブルになることがあります。
★乾電池式充電器

防災グッズの定番が、この乾電池を使ったスマホの充電器です。
コンビニやドラッグストア、家電量販店などで1,000~3,500円くらいで売っています。
使い方は電池を入れて、スマホにUSBケーブルをつなぐだけ。
高機能なものはエネループなどの充電池からの充電にも対応している商品もあります。
難点は乾電池4本使っても、スマホの半分くらいしか充電できないこと。
充電速度も遅めです。
★モバイルバッテリー・大容量ポータブル電源

※値段は2021年4月オウルテック公式通販サイトより
モバイルバッテリーとは持ち運びのできる予備電源のことです。
・いつも持ち運ぶなら5,000mAh以下のもの
・自宅に置いておくなら1万mAh以上のもの
がおすすめです。
(〇mAhというのは、バッテリー容量のことです)
難点は、定期的に充電しなければいけないこと。
使っていなくても、3か月に1度は再充電しましょう。

発火・爆発の危険もあるので激安商品は避けて、商品の外箱や本体に「PSEマーク」や「PSE適合商品です」などの記載のあるものを選んだほうがいいと思います。

なお上位互換的な存在に、大容量ポータブル電源があります。
こちらはほとんどの機種で家庭用コンセントが使えます。
扇風機などの家電も使えて便利ですが、お値段は高め。
(2万~十数万円。Amazonなどで売っています)
★ソーラー充電器(ソーラーパネル/ソーラーチャージャー)

これはMOTTERUという日本メーカーのソーラーチャージャー(24W、楽天市場で6,999円)です。
折りたたむとB5用紙ほどのサイズになります。
雲一つない快晴の日ならスマホ1~2台分くらいの充電はできますが、お天気次第なのが難点です。
太陽に少し雲がかかるだけで充電速度が極端に落ちます。

これよりもっと大きなものはポータブル電源と組み合わせて使うことが多いです。
写真はオウルテックのソーラーパネル120Wタイプ(楽天市場で約3万円)です。
2つの製品の性能比較はこちら(5月の晴れの日に実験)

大型のソーラーパネルならガンガン充電することができますが、ポータブル電源がないとオーバースペック(性能が高すぎてもったいない)な気がします。
どちらの製品もモバイルバッテリーに充電することは可能。
なお手のひらサイズのものは、充電がほとんどできないこともあります。
★手回し充電器(ラジオ)

手回し充電器は、スマホ充電用にはおすすめできません。
試しに5分回してみましたが、同時にスマホでタイマーを計測していたせいか、バッテリー残量はむしろ1%減ってしまいました(涙)
かなりの重労働ですし、音も大きめです。
手回しはラジオとライト用と思った方がよさそうです。
★カーチャージャー(車載充電器/シガーソケット充電器)

車をお持ちの方でシガーソケットがあれば、カーチャージャー(車載充電器)というものを使ってスマホに充電することができます。

このような充電器が通販やホームセンターなどで1,000円~3,000円くらいで売っています。
お手持ちのスマホに対応したUSBケーブルをさして使います。

なお、↑の写真のように車にもともとUSBポートがついている場合もありますが、車種によっては充電が遅かったり、充電できなかったりすることもあるようです。
また、車内で普通のコンセント(ACコンセント)を使いたい人にはカーインバーター(車載用インバーター)という商品もあります。
家電が使えるので車中泊に便利ですが、バッテリー上がりには注意です。
★ノートパソコンから充電

もしスマホの充電がピンチで、他に方法がない場合は、ノートパソコンから充電できることも覚えておくとよいです。
パソコンの電源を入れて、USBケーブルをさすと充電できます。
★他のスマホ・タブレットから電源を分けてもらう

中~上級者向けの方法になりますが、どうしても他に方法がなければ、スマホ(タブレット)から他のスマホへの充電も可能です。

Androidの比較的新しい機種同士であれば、↑のようなUSB TypeC to TypeCのケーブルが使えることもあります。
iPhoneの場合は特殊なケーブルがないと難しいようです。
ワイヤレス充電機能がついた機種なら、ケーブルなしで充電できることもあります。
★まとめ
以上、様々な方法を紹介してきましたが、一番手っ取り早いのは停電(被災)している地域を出ることです。
仕事や介護など、どうしてもその地域を離れられない事情がなければ、休息もかねてホテルや電源の使えるカフェに行ってみるのも一つの方法です。
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2021年3月29日~31日 「東日本大震災から10年目の被災地の今を知り、復興を支援する旅」の動画ができました。
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅7 ツアー企画編
今回の企画も環境や平和などをテーマに旅行を企画している(株)富士ツーリストさんとの共同企画です。
今まで保育関係者向けのツアーとして企画していましたが、今回は震災10年目ということで一般の方を対象とした企画としました。
参加費用 40,000円 ※仙台駅集合プラン 専用バスでの移動費用、2泊4食など

地元松島町の日本三景観光のバスを利用 相席無しでの移動
新型コロナ対策

バリューザホテル東松島市矢本

全員シングルルーム
ホテルは復興の工事関係者用に建てられたプレハブのホテルです。
プレハブといえば心配になりますが、外資系ホテルチェーンが建てたもので、都会のリーズナブルなビジネスホテルレベルです。
次回は夏休み後半に計画
「今回は都合があり行けなかったので」という声も寄せられており、次回は8月末に企画できればと思っています。
第1案 8月20日(金)ー同22日(日)
第2案 8月23日(月)ー同25日(水)
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅6 観光編
今回のツアーの目的は東日本大震災で被災した地域を回りながら震災について学ぶと共に復興を支援することです。
最終日は松島観光
最終日の3日目は、日本三景の松島観光でした。
松島は風光明媚だけでなく、260ほどある島々は津波の被害を減少させ、隣の東松島市は110.1mの津波だったのに対し、松島罠2.8mの津波でした。

松尾芭蕉も感嘆したと言われる松島

観光船で島めぐりをした

重要文化財の五大堂

国宝瑞巌寺本堂 伊達政宗が建立した
おいしい食事も

究極の宮城県グルメ「海鮮丼と牛タンのセット」
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅5 第2日目4 東松島市野蒜
被災地ツアー2日目の最後の訪問先は、東松島市野蒜(のびる)です。
東松島市はは、北は石巻市、南は日本三景の松島に隣接し、風光明媚な奥松島があります。

奥松島の大高森から見た松島湾
また、ブルーインパルスで有名な自衛隊基地の町です。
東日本大震災では、1,155人の方が犠牲となり、東北3県でも犠牲者を多く出した自治体の一つです。
野蒜地区は、東松島市の中でも被害の大きかった地区です。

旧野蒜駅

防風林の松林もかなり抜けた

写真手前の川で津波の高さが少し低くなったが、それでも山まで到達した

線路は地震の揺れで曲がった
東松島市津波伝承館
現在の野蒜駅は高台の移転し、旧野蒜駅舎は津波伝承館となっています。
入館料は無料で、予約しておけば説明していただけます。

赤い線のところまで津波が来た

時計は地震の揺れで止まった
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅4 第2日目3 石巻市
石巻市の犠牲者は3,972人で東日本大震災で最大の犠牲者を出した自治体です。
海側の南浜・門脇などの町は壊滅的な被害を受けました。
ー以下の5枚の写真は2011年7月撮影ー





門脇小学校は日和山に避難して助かる
震災当時、門脇小学校のは240名の児童が学校にいました。
小学校は緊急避難場所に指定されていましたが、大津波警報を聞き、日和山に避難することを決め、児童を引率して学校西側の階段を上り山の上に避難しました。
避難所に指定されていたことから地域住民が学校に避難してきたため、教頭と残った教員が対応していました。
そのうちに津波が門脇地区に押し寄せてきたため、住民を校内の3回に避難させました。
津波と津波の押し流された家々が校舎に押し寄せ、火事も発生し講師の藻火の手が迫って来たことから、教員や若い人たちが協力して教壇を裏山に渡し、地域の人たちを裏山に挙げることができ守りました。

2011年7月冬至の校舎 壁の頃い所は津波火災に遭った所

現在校舎は震災遺構として保存するための工事をしている
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅3 第2日目 女川町
宮城県の女川町は、牡鹿(おしか)半島の付け二の部分にある町で、震災時の人口は9,932人でした。
東日本大震災では、震度6弱に揺れと14.8mの津波により壊滅的な被害を受け、死者・行方不明者は872人(人口比8.8%)でした。
浸水域は住宅地の87.7%で、東日本大震災でも最も被害割合の大きかった自治体です。

高台奥の建物が当時の町立病院 (2011.9撮影)

1階まで津波が来た

手前の建物は女川交番 土台から倒れた

1mの地盤沈下で港も沈んだ
女川町は高い堤防を作らない選択をした

復興商店街 シーパルピア女川
女川町の復興は、商業施設や水産関係以外は高台に移転し、高い堤防は作らないという選択をしました。
しかし、人口は4割以上も減少し、前途は厳しいですが、応援を続けたいと思います。
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅2 第2日目 大川小学校

2011年9月撮影
東日本大震災で子どもの犠牲者を最も多く出したのが石巻市立大川小学校です。
ツアー2日目の最初に訪問しました。

見学前の黙とう

案内役は大川伝承の会で遺族の佐藤敏郎さん
地震発生後、大川小学校の児童は校庭に全員避難しました。
あまりにも大きな揺れのため裏山に避難する児童もいましたが、教員の指示で校庭に戻されました。
当日は校長が不在で教頭と教務主任がいました。
教務主任は裏山に避難することを提案しましたが教頭は新北上大橋たもとの三角地帯に避難するか裏山に避難するか指示できないまま50分間、校庭で待機していました。
大津波警報が出ても避難せず
大津波警報が出ていることは教頭もラジオを聞いて知っていました。
迎えに来た保護者も「大津波警報が出ているので早く避難して」と伝えていました。
市の広報車も学校前の県道を通りながら避難を呼びかけていました。
避難を開始したのはおよそ50分後。裏山ではなく、三角地帯に向かいました。
通る道も集落内の行き止まりの道を進むなど、引率教員は混乱していたようです。

津波は2階の天井まで来た

最初は川から越水
津波は最初に北上川を越水し、続いて海側から迫ってきました。
津波は、避難途中の児童と教職員を山側に押し流し、74名の児童と10名の教職員が犠牲となりました。
山に打ち上げられた児童4名が奇跡的に助かりました。
教員では教務主任が津波に流されたものの足を抜くことができ裏山に避難したと証言しましたが、興味主任を当日保護した民家の方は興味主任の靴もズボンも濡れていなかったと証言しました。
裁判で学校側の過失を認定
23名の遺族が宮城県と石巻市を訴ったえ、最高裁で遺族側の勝訴が確定しました。

裏山の坂道で佐藤さんの説明を聞く参加者のみなさん

裏山から見た全景
震災遺構として保存決定


大川小学校の校舎は、遺族や地域の穂とたちが守ってきましたが、昨年、石巻市はやっと震災遺構として保存することを葛呈しました。
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東日本大震災の今を知り被災地を支援する旅1 南三陸町
2021年3月29日~31日の3日間、被災地ツアーを実施しました。
今回も(株)富士ツーリストさんに企画・募集をお願いしました。
参加者は北は北海道から南は福岡県までの9人のみなさんでした。
第1日目 南三陸町 防災対策庁舎とさんさん商店街

2013年当時の防災対策庁舎 遠藤未希さんは2階にいた
東日本大震災発生時、隣の町役場にいた町長以下の幹部職員も防災対策庁舎2階に集まり情報収集と対策を練りました。
町民への避難は遠藤未希さんともう一人の職員が防災放送で、6mの津波が来ること、高台に避難することを繰り返し呼びかけました。
未希さんの声に押されて高台に避難して助かった人もたくさんいましたが、庁舎職員と避難してきた住民の避難指示は出ませんでした。
海岸には5.5mの防波堤があることから「ここは大丈夫だろう」と思っていたのでしょう。
やがて10mの津波との情報が入り未希さんの放送も切迫した声になりました。
庁舎にいたほとんどの職員は3階建て建物の屋上に避難しましたが、未希さんは津波が来る直前までマイクの前にいたようです。
屋上は、12mの高さ
屋上にいた人たちは2人がアンテナによじ登り、他の人たちはアンテナの下の所でしがみつく人、周りで支える人達がいましたが、身長を超える津波によりほとんどの人が流されました。
非常階段にしがみつき助かった人など10人が助かりましたが、他の人たちは津波に流されてしまいました。
防災対策庁舎から一番近い山まで数分の距離です。
10mの津波の連絡後でも急げば間に合ったのではないでしょうか。



今回(2021年ツアー)訪問時の防災対策庁舎


復興祈念公園
現在の防災対策庁舎と周辺は整備され復興祈念公園となりまし消極的なようです。た。
庁舎は震災遺構として2031年までの保存が決まりましたが、町はそれ以降の保存は決めていません。
保存については遺族の思いも複雑ですが、町としては判断の遅れから多くの人たちが亡くなった場所の保存は消極的のようです。
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