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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

準備編1 マニュアルの整備

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準備編1 マニュアルの整備
マニュアルは作成していますか


保育所保育指針では、第3章 健康及び安全の4災害への備えにおいて、「火災や地震などの災害の発生に備え、緊急時の対応の具体的内容及び手順、職員の役割分担、避難訓練計画等に関するマニュアルを作成すること」となっています。
残念ながら、私立の保育所の中にマニュアルを作成していない園もありますが、監査でチェックされれば指摘されますし、実際に被災して不幸な事態になればマニュアルを作っていなければ重大な責任が問われます。
そもそも裁判以前に、安全に対する意識が乏しいというのであれば、保育所を運営することがふさわしいのかどうかということになります。

マニュアルは改訂も必要
マニュアルの作成は絶対条件ですが、作成している園では定期的な見直しをしていますか。
大川小学校の裁判で学校はマニュアルを作成していましたが、避難場所について「高台に避難する」としか記述していなかった点を見直していなかったことにより、賠償額が1千万円増額されました。
公立園では、慣例を尊重する傾向にありますが、こと災害対応にあたっては定期的な見直しが必要です。
ポイント1 津波は想定されているか
「うちの園はハザードマップは白色だから」と思っていませんか。
大川小学校もハザードマップ上は白色でした。裁判でも宮城県、石巻市は津波想定区域外だったと所長しましたが、仙台地裁は「ハザードマップの白色は安全を保障したものではない」として、県と市の主張を退けています。
内陸部の園でも、過去に増水で冠水した記録があれば対応が必要です。
ポイント2 あらゆる時間帯、場所を想定しているか
大阪府北部地震は、早朝保育の時間帯でした。当然、ほとんどの園では園長も不在でした。
地震は、園長、副園長、主任も不在の時に発生するかもしれません。
実際に、大川小学校では校長不在時で、教頭の避難の判断が遅れました。
台風については想定されていても、ゲリラ豪雨のように開園後に天候が大きく変化する可能性もあります。
あらゆる状況を想定しておく必要があります。

3.巨大災害時における子どもの救済は孤児の支援から

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3.巨大災害時における子どもの救済は孤児の支援から

伊勢wン台風、阪神・淡路大震災と振り返ってきましたが、それ以前はどうだったのでしょうか。

濃尾地震における孤児救済活動

災害時に全国的な規模での復旧ボランティア活動を行ったのは明治期からです。
災害時における子どもの救済では、1891年、7,273人の犠牲者を出した濃尾地震の際に岡山孤児院長の石井十次が名古屋で名古屋震災孤児院を開設したことや石井亮一、留岡幸助などの社会事業家が被災した孤児の救済に当たったことが知られています。
3人共にキリスト教の信者であり事前活動かということもあり救援に駆けつけました。
註1)石井十次が開設した岡山孤児院は、無制限収容を謳い最高時は,1,200名の子どもたちを保護した。石井亮一は後に障がい児施設滝野川学園を開設した。留岡幸助も後に非行の子どもたちの感化院(現在の児童自立支援施設)である家庭学校を開設した。

関東大震災では大学生が救援活動

また、関東大震災では、東京帝国大学を中心とした学生が被災者の救援活動をしたことが記録されています。
上野の山で死者の運般などを行ったとの記録が残っていますが、子どもたちを対象とした支援の記録は残されていません。
東京帝国大学の学生は、関東大震災の復旧活動の後に東京帝国大学セツルメントを結成し、その中の託児部がスラムの子どもたちに対する支援活動を行っています。

震災保育ボランティア活動の原点です。

2.阪神・淡路大震災の取り組み

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2.阪神・淡路大震災の取り組み

1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災は、日本における地震観測史上初めて震度7を経験し、犠牲者は6,434人に達しました。
0歳から19歳までの子どもの犠牲者は569人(犠牲者中8.8%)に及びました。

ボランティア元年

130万人から150万人が参加したともいわれる10代から20代の若者を中心とするボランティア活動の中に保育・遊びでのボランティア活動が含まれていました。
神戸の避難所では短期間であるしたが、伊勢湾台風の時と同様に臨時保育所が開設されました。

保育所も避難所に

同時に、公立園だけでなく私立園の一部の公立保育所が避難所として利用されたため、保育ができないという園も出ました。
住居を失い大阪府などに一時的に転居した家族に対して、各地の自治体の住居の提供だけでなく保育所は定員外で子どもの入所を受け入れました。

心理的ケアの取り組み

また、阪神・淡路大震災では、被災した子どもたちに対する心理面でのケアが進み、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が日本で定着しました。
兵庫県下の児童相談所が同年6月から7月にかけて行った児童の保護者を対象の調査において12,465人から回答を得ましたが、「直後のみ症状を出した児童は全体の58. 3%で、直後から6ヵ月後まで症状が持続している児童は全体の23. 7%、6ヵ月後に症状が現れた児童は全体の18.0%」「一方で数ヵ月経ってから症状を出す児童も多く、長期的な日でこころのケアが必要であると言える」と報告されています。
また、「年齢別にハイリスク児童の出現率をみると、震災直後、6ヵ月後ともに0~5歳児が最も高くなっており、幼児への影響が大きくなっている。これは、幼児は恐怖や不安を解消するための手だてが容易に持てなかったり、先の見通しを持つ力が弱いことや親の不安をそのまま受けてしまうことが影響していると思われる」と指摘しています。
註1)人と防災未来センター「震災復興誌第1巻」p.371-p.372。

1.災害時の保育の取り組みは伊勢湾台風の支援から

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1.災害時の保育の取り組みは伊勢湾台風の支援から

被災した子どもたちに保育で支援する取り組みは、伊勢湾台風時の復興支援から始まりました。

死者・行方不明者5,098人

1959年9月26日から27日にかけて上陸した台風15号(伊勢湾台風)は、愛知県の伊良湖で最大風速55.3m/sの猛威を振るい、東海地方を中心に死者・行方不明者5,098人の犠牲者を出しました。
全国一の海抜ゼロメートル地域を抱える濃尾平野の浸水区域は名古屋市南部、愛知県西部に及び冠水は場所によって3か月以上に及びました。
臨時保育所の開設
家を失った被災者は、計261か所の指定避難所で最長で60日間の生活を続けた。被災者は、小さな子どもを背負い肉親の捜索、自宅の片づけなどに追われ、子どもたちに向き合う余裕もありませんでした。
子どもたちの心も不安定な中、学生ボランティアが中心となり同年10月から11月にかけて16か所の避難所に臨時保育所を開設して保育活動をおこないました。
保育ボランティアの中心は大学生
保育活動に参加したのは、名古屋市内立保育短期大学、愛知県立女子大学、金城学院大学、柳城女子短期大学(校名は当時)の学生たちで、他に名古屋市保母(現・保育士)、大学教員なども支援に入りました。
名古屋市南区弥次ヱ町の応急仮設住宅では、大学生たちが名古屋市と交渉して元養鶏場の事務所を借り受け、日本福祉大学、名古屋市立保育短期大学、金城学院大学の学生が中心となり、認可外のヤジエセツルメント保育所を開設しました。
市役所まで押しかけて交渉したそうです。
註1)名古屋市「伊勢湾台風災害誌」(1961)より。

レンガの子どもの誕生
レンガの子ども

翌年、東京保育問題研究会から原田嘉美子氏、河本ふじ江氏を専任保母として迎え入れ、1962年8月まで活動を続け、東芝日曜劇場でもドラマ「レンガの子ども」として紹介されました。
また、同年、「レンガの子ども」が出版され、保母などによるレンガの子どもの実践を検討会の取り組みから名古屋保育問題研究会が誕生しました。
保育所作りと実践研究の取り組みは、その後の愛知県における共同保育所作りの原点になりました。
註2)河本ふじ江「レンガの子ども」ひとなる書房(2009)より。
菜の花保育園の誕生
同年9月28日、日本キリスト教団は被災者の救援活動を開始し、救援物資の配給、医療救援活動などと共に臨時託児所の活動を行いました。
その活動は1961年3月31日に社会福祉法人の認可へとつながり、定員30名の名古屋キリスト教社会館保育部(現・菜の花保育園)が誕生しました。
註3)谷川修『50年の歩みをふりかえり、100年を見据える』「社会館の福祉vol.50」名古屋キリスト教社会館福祉研究所(2015)より。

伊勢湾台風時の救援活動は、被災した子どもと保護者を保育で支える活動を行っただけでなく、その後の保育所作りにつなげたという意味でも画期的でした。

いち早く避難した門脇小学校

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いち早く避難した門脇小学校
震災遺構として保存


門脇小学校
2011年7月撮影

門脇小学校は、2019年末より震災遺構として保存するために、工事に入りました。

東日本大震災の石巻市の犠牲者は、3,975人で、門脇小学校のある門脇・南浜地区では約500人が犠牲となりました(2018年9月現在)。

大津波警報発令

地震発生時、1・2年生は帰宅しており、残っていた生徒224人に対し、鈴木洋子校長は第一次避難として校庭に生徒を避難させました。
防災放送からは、大津波警報の指示が流れました。

保護者、住民と共に山に避難

15時過ぎ、校舎西側横の階段で裏山の日和山に避難を開始し、下級生の手は上級生が握りました。
学校に迎えに来ていた保護者、その場に避難していた地域住民も一緒に行動しました。
東北の学校の中でも、いち早い避難でした。
その後も学校には地域住民が避難してきて、校庭には車100台くらいとなり、教頭を含む4人の教員が誘導に当たり日和山に避難するよう伝えました。

住民を校舎に誘導

津波到達時、教頭たち教員は、その場にいた30人ほどの住民を校舎2階に誘導しました。
1階は水没し2階も危険と判断し、2階から裏山に教壇を渡して乳児を連れた母親、高齢者片腕を失った人などを山側から支援に駆けつけた消防団員や地域住民の協力を得て避難させました。

校舎は炎上

生徒が避難してから30分後に津波が学校に到達しました。津波は、火のついた家も流してきたため校舎も炎上し、3日間燃え続けました。
生徒の引き渡しは、日和山公園の鹿島神社に避難し、安全を確認した後におこなわれました。
7名の生徒が犠牲に
早めの帰宅をした1・2年生の中で学校に避難しなかった7人が津波の犠牲となりました。

いち早い避難をすることと共に校庭ではない安全な場所に避難した後での引き渡しが重要です。

サイレント津波の脅威

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サイレント津波の脅威

NHK総合テレビはサイレント津波を紹介していました。
東日本大震災では、岩手県の震度は5弱から5強と宮城県の6弱から6強よりも小さかったにもかかわらず、岩手県北部の宮古市を襲った巨大な津波は、最大39メートルの高さまで駆け上がり大変な被害を出しました。

番組は、その要因を探る企画で、2つの可能性を指摘していました。
以下、番組より引用します。

ゆっくりとしたプレートの動き

1つ目が「ゆっくりとしたプレートの動き」です。この現象は、124年前の明治三陸津波で起きたと考えられています。このとき、三陸地方の沿岸では「震度3前後」の揺れにも関わらず、「10メートル以上の津波」が押し寄せました。通常、津波はプレートが大きくずれ動くことで発生します。そしてプレートの急激な動きによって、激しい揺れが同時に起きます。一方、プレートがゆっくりと大きくずれ動いた場合、激しい揺れを伴わず、高い津波を引き起こすことがあるのです。

海底地滑り

2つ目は、海底で土砂が崩れることで起きる「海底地滑り」です。地震の影響で海底で地滑りが発生すると津波が発生します。顔元線から近い場所で地滑りが起これば、津波は短時間で海岸線に届きます。

比較的小さな地震でも大津波の可能性はある

ゆっくりとしたプレートの動きの場合、比較的小さな地震でも極めて大きな津波が来る恐れがありますし、海底が地滑りした場合は比較的短時間で津波が到来する可能性があります。
想定にとらわれず、速やかに高台に避難することが重要です。

聖火リレーの出発点 Jヴレッジ(2013.3)

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聖火リレーの出発点 Jヴレッジ(2013.3)

Jビレッジ

写真はわかりにくいですが、2013年3月にいわき市の学童保育所を訪問した際に案内してもらい撮影したJヴレッジのスタジアムの写真です。
第一原発の水素爆発(3号機は核爆発だったとの見方もあるようです)以降、復旧作業の前線基地になりました。
撮影した当時、グラウンドは作業員の宿舎になっていました。
Jヴレッジは東電が130憶円で建設し、福島県に寄付したものです。この地を聖火リレーの出発地とすることで政府としても安全性を強調したいのでしょう。
ちなみに、ワールドカップでは、全日本チームのメンバーがここで最終合宿をする場所でもあります。

ホットスポットがあるとの報道

2019年12月4日、グリーンピース・ジャパンは以下の内容を公表しました。
「グリーンピースの調査チームは10月26日、Jヴィレッジで約2時間調査を行い、複数のホットスポットを発見しました。特に、トレーニングセンター近くの駐車場は、放射線量が地表面で毎時71マイクロシーベルトに上り、これは、除染の目安である毎時0.23マイクロシーベルトの308.7倍、2011年3月に発生した東電福島原発事故前のレベル(毎時0.04マイクロシーベルト)の1,775倍になります。」
とても心配な報道です。復興宣言は、本当に安全を確保してからにしてもらいたいです。

総工費13億円の認定こども園

あおぞらこども園

2枚目の写真は、同日の楢葉町の認定こども園です。現在はやっと再開されましたが、長期間閉鎖されていました。写真の通り立派ですが、総工費は13億円で、東電が10億円を寄付しています。
原発がある地域では、補助金漬けにより地元が反対できない仕組みが作られています。

楢葉町

3枚目の写真は、国道6号線です。当時は、楢葉町で通号止めとなっていました。
目に見えない恐怖を感じました。


津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その3

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津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その3

日和幼稚園の園児5人の死亡で和解成立―地裁は園側の過失認定―


2011日和幼稚園舎 小
写真は2011年9月時点の日和幼稚園

日和幼稚園 (640x480)
この場所で焼け焦げたバスが発見された

宮城県石巻市のあった私立日和幼稚園は、震災後、園庭に避難していましたが、2台の送迎バスを出し、その内の1台は海沿いの地区に回りました。
12人の園児と運転手、添乗員が乗車し、途中で7人が下車しましたが運転手を除く園児5人と添乗員1人が津波の犠牲となりました。亡くなった4人の子どもの保護者が園に対して民事訴訟を起こしました。

もう一台のバスは引き返す

もう一台の大型バスも園を出ましたが、運転手はバス会社の勤務経験があり、非常時の訓練も受けていました。
ラジオをつけ大津波警報の報道を知ると共にすでに渋滞が始まっていることから自分自身で判断し、園に引き返しました。

被災したバスも引き返す機会はあった

圓の送迎バスを津波想定区域に出した園長の責任は決定的に大きいが、引き返すチャンスはなかったのでしょうか。
バスの運転手はアルバイトで緊急時の訓練は受けていませんでした。
バスのラジオをつけていないことも大型バスの運転手との違いが表れています。
門脇・南浜地区の園児を家庭に送り届けようとしたものの、ほとんどの家族はすでに避難していました。
家族の避難先の門脇小学校に寄りますが、そこに園長の指示を受けた教諭2名がすぐに引き返すように運転手に伝えています。
教諭は伝えた後で階段を昇り園に戻っています。危機感のなさがわかります。

園の近くには防災無線で繰り返し大津波警報を伝え、すぐに高台に避難するように指示しています。
裁判では、教諭たちは防災放送は聞こえなかったと証言していますが、裁判所は信じがたいと否定しています。
防災無放送は門脇地区でも流れていましたので、運転手も聞いていたはずです。

階段を昇れば数分で帰園できましたが、そのままバスを発車させ、大渋滞に巻き込まれ津波に飲み込まれています。

仙台地裁の判決

仙台地裁は、1)園のマニュアルでは災害時は保護者に引き渡すとなっていたにも関わらず通園バスを出したこと、2)大津波警報が発令されているにもかかわらず津波想定区域にバスを出したこと、について園側の過失を認定し、仙台高等裁判所の控訴審において和解が成立しました。

和解内容は、園側は6,000万円の賠償と共に、園側の法的責任を認め謝罪すること、津波に対する防災体制が十分でなかった ことを認めることが含まれました。
この点こそ、遺族が訴ったえたかったことだと思います。

安易に「保護者に引き渡せばよい」とする考えを捨て、遺族が伝えたかったことを、私たちは受け継がなければならないのではないでしょうか。

津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その2

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野蒜小津波訴訟では友人に引き渡し後の死亡で賠償命令

宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校では、保護者の友人に生徒を引き渡した後に津波の犠牲とななった女児の保護者が学校を相手に裁判を起こしました。以下、新聞報道の要約を紹介します。

2016年3月24日、宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は1人の遺族に対する市側の責任を認め、約2660万円の賠償を命じた。市の責任が認められたのは、教諭の判断で同級生の親に引き渡され、小学校より海側の自宅に帰宅し死亡した小学3年の女子。
 判決理由で、大嶋裁判長は「自宅に戻るためには市の津波浸水予想区域を通過しなければならず、帰宅途中や帰宅後に津波に巻き込まれる可能性は具体的に予見できた」と指摘した。
 訴えによると、同小3年だった女子児童は、体育館で友人の親に引き渡されて自宅に向かい、津波にのまれたとされる。判決は、この女子児童について学校側の責任を認めた。
 遺族側は「カーラジオなどで情報収集をしていれば、大津波が来ることは予測できた。防災計画が定めていた校舎の2階以上に避難させれば、死亡しなかった」と主張。児童についても「自宅は学校より海側にあったのに、安全を確認しないまま帰宅させた」と訴えていた(朝日新聞)。

学校の過失確定 最高裁、市の上告棄却

2018年5月31日 、最高裁第2小法廷(山本庸幸(つねゆき)裁判長)は30日付で、児童遺族に対する学校の過失を認定し、市に約2600万円を支払うよう命じた1、2審判決が確定した(毎日新聞)。

津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その1

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津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その1

石巻市1小
写真は2011.7の石巻市

多くの保育所、幼稚園では、大規模災害時は保護者に引き渡すことが原則となっています。保護者に引き渡した時点で園児の安全確保の責任は終了し、子どもの安全も守られるということのようですが、本当に正しい判断でしょうか。

大槌保育園では引き渡し後に9人死亡

岩手県大槌町の私立大槌保育園では、津波が迫る中、園児を高台に避難させ園児の命を守った園として報道されました。園は、避難先のコンビニ前で70人ほどの園児を保護者に引き渡しましたが、津波はコンビニに迫り、、40人ほどの子どもを地域住民の協力を得て急峻な山に避難させました。しかし、避難する前に保護者に引き渡した園児9人は帰宅後に津波の犠牲となっています。大槌保育園と同様の事例は、石巻市立門脇保育所でも見られました。

引き渡し後の死亡事例はもっと多い

河北新報の報道によれば、保育園児のうち111人が自宅で亡くなっていると報道しました。この中に保育園から引き渡し後に亡くなった子どもがどれくらい含まれていたかはわかりませんが、相当数含まれていたと思われます。
全国で講演をしていると、どの地域でも震度5以上の地震で保護者に引き渡すという保育所がほとんどです。この基準は正しいのかという憲章をする必要があります。

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