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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

医療関係者のための東日本大震災被災地訪問ツアー報告集2

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医療関係者のための東日本大震災被災地訪問ツアー報告集2
―東北の医療機関は、震災にどのように向き合ったのかー


石巻赤十字病院 
訪問日 5月17日
住所 宮城県石巻市蛇田字西道下71番地


日赤小6


石巻赤十字病院は、石巻市、女川町、東松島市で構成される石巻医療圏で唯一の災害拠点病院であり、震災では石巻市民病院などが津波の被害に遭い、同医療圏では高次医療に対応できる唯一の病院となり、震災後の救急医療を支えました。
訪問では災害医療研修センターのセンター長補佐で災害救護係長の高橋邦治さんに説明と館内の案内をしていただきました。高橋さんは、阪神・淡路大震災の救援活動から災害医療に携わり、「人生でもう2度と経験することはないだろう」という経験をされましたが、再び東日本大震災で救援活動に当たられました。
以下、高橋センター長補佐の説明の要約を紹介します。

石巻赤十字病院は、海から4.5kmの位置にあり、石巻圏域30万人の医療を支え、「東北一活気のある病院」を目指しています。
震災当時の病床数は402照床(現在は464床)、スタッフは800人(現在は1270人)です。

3月11日14時46分に地震が発生し4分後の14時50分には災害対策本部を開設しました。1階エントランスにトリアージエリアを確保することが確認され、トリアージの体制が整ったのは15時43分です。

病院入口にトリアージを設け救命センターに赤、エントランス左手に黄色、緑は緊急を要しない被災者なので玄関の外で対応しました。黒エリアは地下1階に設置し、廊下にご遺体が並べられました。黒エリアに運ばれた方は250名ほどでした。

震災当日は道路が冠水し、他県からの救助ヘリも来なかったため、救急患者は99名でした。
当初は外科的手術の必要な患者を想定していましたが、多くは低体温症の患者でした。救急患者は無制限で受け入れました。
一般市民の方も病院に行けば何とかなるということで避難されてきました。
避難所で生活する避難者の医療面でのケアも全国から駆け付けた医療関係者や地元医師会と協力して支援に当たりました。

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地下の免振装置

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駐車場のヘリポート

石巻赤十字病院は2006年に同地に新築移転しましたが、建設の段階から建物は免震構造とし、自家発電装置を備え、災害時に対応できるようにロビーは広く設計しました。ヘリコプター発着場も屋上ではなく、停電時にはエレベーターが使えず、救急患者の移送が困難になることから屋外駐車場に作られました。エントランス等の壁には酸素供給用の吸引装置を設置してあります。

非常食は入院患者分を3日分用意していましたが、職員は自宅に取りに行けばよいということで用意していませんでした。
トリアージの研修は、全体で月1回、グループ別は毎週のように行っています。
民間と災害時の協定を結んでいるため、震災当日の15時30分には積水ハウスがテントを設営してくれました。ドコモも病院に中継基地を設置してくれました。
石巻市に交渉をして行政無線を設置してもらいましたが、市役所が水没したため自衛隊も市役所に本部を設置することができず、赤十字病院に現地本部を設置して市役所と無線で連絡を取り合いました。
また、公務で県外にいた石巻市長も市役所の戻ることができず、病院から市役所に無線で指示を出しました。
水の確保が重要でしたが、災害拠点病院ということで優先的にタンク車で水を供給してくれました。
災害救護課には広報班があり、震災時も大きく揺れている時から撮影を撮り続けました。
震災対応は、通常の病院のラインでは失敗します。同じ人間がやるにしても新たなラインが必要です。緊急事態では縦割りではうまく行きません。

災害時の対応
うちは夜でも震度5強以上で本部を立ち上げることになっています。夜でも当直の人がいるから立ち上がります。4月7日は夜でしたが対策本部を立ち上げました。対策本部を立ち上げてからトリアージの体制を組むかどうかを決めます。自動的に立ち上げる訓練はしています。
災害の時はトランシーバーを使いますが、使うためには全員が使えなければならないので訓練します。
震度4度でもエレベーターが止まります。糖尿病の方は食事も大事です。止まったとき上の階に運ぶ訓練、6人で毛布に来るんで患者さんを運ぶ訓練もやっています。
年1回だけではなく、何回もやりますし、机上訓練もやります。
災害時に力が発揮できるような人間の関係性が必要です。
3日間だけ頑張れば全国から支援に来てくれますので、その訓練が大事です。

病院見学

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災害医療研修センター棟

説明を受けたのは災害医療研修センターで、震災後に建てられました。災害救護課もこの建物にあり、病院スタッフや外部から訪問した見学者に対する研修、防災訓練の計画、実施などを担当しています。
当時のヘリポートがあった場所に建てられましたが、現在のヘリポートは屋上と職員駐車場に作られました。

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地下には免振装置があり、見学させていただきました。東日本大震災のダメージはわずかでした。
最後にエントランスを見せていただきましたが、トリアージを想定して広く作られていました。

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医療関係被災地ツアーの報告1

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医療関係者のための東日本大震災被災地訪問ツアー報告1
―東北の医療機関は、震災にどのように向き合ったのかー


◇日時 2019年5月16日(木)~5月18日(土) 2泊3日
◇訪問先 宮城県塩竈市坂総合病院・石巻市赤十字病院・石巻市などの被災地


坂総合病院 
訪問日 5月16日訪問
住所 宮城県塩釜市錦町16-5
 

坂総合病院小

坂総合病院は、塩竃市、多賀城市など2市3町の塩竈地域の医療を支える中核病院であり、また宮城県内の民医連の中心的な総合病院です。
病床数357床、医師74名、看護師330名を含む職員体制は620名です。
東日本大震災時は、震災直後より被災者の救急医療を行うと共に地域の医師会と連携し、避難所に避難している被災者の治療や健康管理に奮闘されました。

訪問では、副専務理事で医師部事務局長の佐藤孝一氏より説明を受けました。要約のみ紹介します。

坂総合病院は建物にひび割れの被害が出ましたが、これだけで済んだと思っていました。
ところがテレビで仙台空港の映像を見て、何十人もの死体が流れているのを見て私たちも現状を知りました。
すぐそばの七ヶ浜の町も津波にのまれて根こそぎ街が無くなっていました。

診察していたら患者の様子がおかしいんです。みんな濡れて低体温になっています。体温が20度以下になると温めてあげなければいけませんが、低体温の人、油まみれの人の治療がほとんどでした。

透析の患者は3日に1回透析をしなければなりませんが、水が止まると透析が困難となります。
津波をかぶっ全国からの支援た医療機関でできなくなりました。
私たちの病院は臨時用の透析の機械はありましたので使いました。
その病院や患者さんとも関係がありませんでしたが、震災後に連携を取るようになりました。

医療機関同士の日常的な連携が必要です。この病院は難産などリスクの高い妊婦さんを引き受けていますが、産婦人科のネットワークの輪を広げる動きをしました。ろうあ者は震災の時にサイレンが聞こえない、自分の声を伝えられませんでした。
障がい者支援のネットワークがあれば防ぐことができます。弱者という人たちは、ネットワークを作らなければ救えません。まだまだ弱いです。

坂総合病院は県内に17ある災害拠点病院の一つです。
水は井戸水を利用しましたが、重油が無くなり困りました。暖房を止めました。
食事は入院患者用の2日分しか確保しておらず、職員は自宅から持ってくることにしていましたが、津波により自宅に戻ることが困難でした。
停電は3日帰宅困で復旧しました。震災後1日から2日間持ちこたえる準備が必要です。

全国からの支援
民医連は災害の時に支援に駆けつけることになっており、東京民医連は、次の日の午前中に支援に来てくれました。
山形は次の日に米を持って来てくれました。

ガソリンが無くなり、患者さんを別の病院に搬送しようにもできませんでした。ガソリンは国や自治体がガソリンが枯渇しないように大手と協定を結ばなければなりません。コンビニも食料が無くなりました。東北の経験から、熊本地震では流通経路を確保してコンビニは食料が提供できました。

第1期は震災から3日目程度
外部との連絡が遮断しライフラインが止まり、復帰するまでです。坂総合病院では午後2時52分に対策本部を設置し、10分でトリアージの体制が取れます。すべての点検をして異常が有るか無いかはすぐに本部に情報が来ます。最初にすべきことは自分の命を守ることです。それから患者の安全確保をします。

トリアージの体制
塩竃市の30%が津波でやられました。宮古市は、最大40mの地点まで津波が昇ってきました。
通常の診療ではなくトリアージの体制を取ります。大規模な事故が起きたときに重傷者の赤、黄色、緑のカードを付けます。秋葉原の殺傷事件の時に消防隊が非難されました。誰から救うかという順番を付けなければなりません。まだ息のある人にも助けられないということで黒のタグをつけました。家族にしてみれば見捨てたとトリアージのやり方に非難が出ました。

坂総合病院では黒は完全に亡くなった方のみとしています。病院の1階に4つのブースを作り患者さんを振り分けました。電話がつながらなかったため、「今から行きます」という連絡のないまま救急車が次から次へと来ましたが、すべての患者を受け入れました。自衛隊、消防車、自家用車でも来ました。毎日、24時間体制で外で待機しました。救急車は3日間で397台来ました。
患者の多くが外傷患者でしたが、低体温症も外傷という区分になります。
地域の医療機関が被災したため薬が無くなり、(慢性疾患の患者は)薬のみ必要という処方外来も多く来ましたが、薬の袋とかお薬手帳があれば薬を出すことができます。
透析患者、在宅酸素の方、妊婦の方を医療における弱者として位置づけて支援しました。また、障がいを持っている方をどのようにケアするかは災害が起きてからでは遅いです。
リハビリの訓練室が黄色のブースにしました。黄色は重症にもなる可能性のある人たちですが、60人分のベッドを作りました。
地震発生時に手術中が2例ありましたが、手術を終えることができ、重症患者の治療に当たりました。
緑は軽症患者ですが、緑がかなり大変でした。家族も本人も元気が良いので、何で早く診てくれないんだと大騒ぎする人もいて生きのよい職員を配置しました。

帰宅困難者の対応
病院は次から次へと来る患者の対応だけでなく、避難所ではないですが帰宅困難者の対応もしなければなりませんでした。本来、診なければならない人を治療するためお断りすることにしていましたが、帰る場所が無い人、避難所まで行けない人にも食事を提供しなけコミュればなりませんでした。ここことを境に帰宅できない人の場所も確保することにしました。
この頃からガスリンスタンドには長蛇の列ができました。
第3期、第4期は仮設住宅での支援です。全国からボランティアが来てくれましたので、医師、看護師、薬剤師でチームを組み回りました。
避難所を回り健康相談を行いましたが、阪神・淡路大震災の経験から足湯で足を温めて話をする、これが喜ばれました。これも孤独死を無くす取り組みの一つです。熊本に震災にも引き継ぎました。

避難所・仮設住宅訪問
3月13日から8月23日までの98日間、避難所を訪問しました。全国から来たボランティアには避難所や地域を訪問してもらいました。避難所は段ボールで各家庭を仕切りましたので、となりが丸見えでプライバシーが守れませんでした。熊本では境を高くして少し改善されました。

コミュニティ作り
被災者は、最初の時期はそう状態になります。気が張り頑張ります。半年くらいたつとうつ状態の患者や自殺が増えます。民医連の精神科の医師が駆け付け、避難所を回ってもらいましたが、効果的でした。仮設住宅の人が気軽に来られるコミュニティ作りが必要です。お祭りを企画しました。この中心になったのは、若者たちでした。
水が止まると水洗トイレは汚れます。感染症の危険も増します。夏場ですと大変です。インフルエンザ、肺炎が満延する可能性があります。震災になってからは遅いので、今、点検をする必要があります。私たちは人の支援だけでなく、掃除隊というのを5人くらいで作りトイレ掃除をしました。
当たり前の時の困っている人の支援を考える、これが災害の時の支援につながります。震災の時にクローズアップされますが、今でも薬代を払えず、薬を間引きして救急車で運ばれてくる人がたくさんいます。

避難訓練
災害時の対応は、通常のラインでおこなうと失敗します。坂総合病院では、災害委員会があり、避難訓練などの準備を行っています。
 避難訓練では、停電を想定して6人で患者を上の階に運ぶ訓練もおこなっています。
3日以降は応援が来てくれますので、それまでの訓練が必要です。
スタッフのメンタルケアは、精神科の医師が担当し面談しました。大規模災害の場合は外部から呼ぶことも難しいので自分たちでラインを使ってケアする必要があります。

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