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保育園の迎えに行けない2
津波が想定される南海トラフ地震では、保護者の送迎を義務化するのは危険です。
保護者の迎えを待つために避難が遅れる
石巻市の門脇保育所は、定員60名ほどの小さな公立保育所でしたが、迎えに来た保護者への引き渡しに30分ほどかかり、避難先の石巻保育所にたどり着いた直後に8.6mの津波が園舎を襲いました。
定員300名以上という園もありますが、保護者の迎えを待っていれば避難が間に合わなくなります。
引き渡し後に子どもが犠牲となる
東北では、震災時に園にいなかった園児111名が犠牲となっています。
厚生労働省は内訳の分析をしていませんが、そのうちのかなりの子どもが保護者に引き渡された後に津波の犠牲に遭ったと推定されています。
岩手県の大槌保育所では、引き渡し後に亡くなった園児が9名います。
迎えに来よとした保護者が津波の犠牲となる
福島県では、学校の3階の非常階段から見ていた子どもの目の前で父親が車ごと津波に飲み込まれたという痛ましいニュースが流れました。
子どもにとっても心の傷となる出来事です。
津波と伴う地震の際の保護者への引き渡しは大変危険です。
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保育園の迎えに行けない1
大阪で講演をした際に、以下のような質問が出ました。
『父が会社員、母が保育士、どちらも緊急時に家庭へ戻れない場合…子どもは学校園にお任せしておいても良いのでしょうか?』
保育所は、保護者に対して「震度5以上の地震があったら、お迎えに来てください」と当然のように依頼します。
同時に保護者の中にも保育者もいます。保育者も子どもがいれば一人の親です。
預けている園から「迎えに来てください」と言われれば避難している園児を残して迎えに行かなければならないのでしょうか。
結論から言えば、迎えに行くのは無理です。
東日本大震災では迎えまで5日かかった園も
大震災が発生するとすべての交通網がストップする恐れがあります。
首都直下型地震や南海トラフ地震の場合は間違いなく多くの町で交通網が機能しなくくなります。
職場を離れることが保護者も迎えに行けなくなるのです。
その場合は、園に留まる場合も避難所に避難する場合も保護者が迎えに来るまで園の保育者は子どもと共に過ごします。
仕事の関係で迎えに行けない人も
東北の場合は、親が出稼ぎの場合や教師、保育士、警察官、公務員などは当然、迎えが遅れました。
子どもが少人数の場合は、園長や年配者の保育者だけが残り、子どもがいる保育士は帰った園もありましたが、そもそも交通網が遮断されて家に戻れない保育者もたくさんいました。
保育者や教員、警察官や消防士を含む公務員は持ち場を離れられないので迎えが遅れました。
津波の被害のない園では、その日の夜遅く、交通手段が閉ざされた場合は2日間園児と過ごしたということが多かったようです。最長は、5日後に迎えに来たという園がありました。
その保護者は出稼ぎの方で他の親族も迎えに行けなかったからです。
園に迎えに行くのに自衛隊のボートに乗って来た方もいました。
園も被災しますが保護者も被災するという当然のことを考えないで「震度5以上で迎えに来てください」はイマジネーションが欠けていると言われても仕方がありません。
質問された方は、保育の仕事をしていてご自身のお子さんを迎えに行けるのだろうかという心配をされている方かもしれませんが、お互い保育所が必ず子どもを守ってくれる信頼感があれば。ご自身は園児を守ることに専念できます。
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「津」の地名は、海岸沿いや河川の船が着く場所から来たといわれています。代表的なのは三重県の県庁所在地の津市ですが、全国各地にあります。
また、「島」の付く地名は周囲が海洋(川)で囲まれた場所であることから、現在は周りが海でない場所もかつては周囲が海(川)だった可能性があります。
海面上昇によりかつて海だった所が上昇すると共に川から流れてきた堆積物からできたちそうですので、地盤は軟弱です。
濃尾平野
木曽三川の三角州として形成された濃尾平野は全国一の海抜ゼロメートル地帯です。津島市、枇杷島、鳴海など海にまつわる地名が多くあります。かつて伊勢湾は、岐阜県各務原市辺りまで広がっていました。
また、名古屋市の東部に刈谷市がありますが、刈谷駅の北東、東海道線の北側に「高津波町」という地区があります。津波が来たかどうかの記録は無いようですが、昔は三河湾が刈谷市まで広がっていたようです。
大阪平野
縄文時代の大阪平野は、寝屋川あたりまで海でした。地名としては、吹田市に「江坂」という地名がありますが、「入江」という言葉があるように河内湾の入り江があったのではないでしょうか。
その後、天王寺から大阪城辺りにかけて上町大地が形成され、河内湖が形成されました。
大地の西部は海抜が低く海抜ゼロメートル地帯となっていますが、東部の城東区なども南海トラフ地震時には津波のより被害が想定されています。
現在は大きな平野となっていますが、大阪平野は全体として海抜の低い地域が多く、地盤も軟弱です。海抜が低いため津波による浸水や地震により液状化現象が起こりやすい地域です。
街が形成されると海抜や地盤のことなど気にしなくなりますが、地域の言い伝えを年配者から聞くことも大事です。
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スフィア基準とは何か
スフィア基準の正式な名称は、「人道憲章と人道対応に関する最低基準」です。
1997年、人道援助を行うNGOグループと国際赤十字などが災害や紛争などの被災者すべてに対する人道支援活動を行うために定めた基準です。
あまりなじみのない名前ですが、アルピニストの野口健さんが熊本地震の救援でテント村を作りましたが、これはスフィア基準の精神を基にしたもので、少し知られるようになりました。
避難所生活は我慢するのが当然か?
日本では、災害時には被災者もボランティアを含む救援者も我慢するのが当たり前のようにとらえられていますが、被災者にも人権があり、より安全な生活が保障されるべきです。
今後の災害対応では、スフィア基準を日本の避難所対応の基本にすべきであり、そのための準備を行うべきです。
避難所の基準
スフィア基準の避難所の基準の要約を紹介します。
1.シェルター(避難所)の居住空間 全ての被災者が、覆いのあるフロアの初期の面積として1人あたり最低3.5㎡。調理や料理のため、シェルターの外側に隣接した日陰になる場所を設ける。
(2)安全で十分な量の水へのアクセスと給水量が必要、平均で1人1日最低15ℓの水、どの住居も500m以内に給水所があること、給水所で水汲みを待つ時間は30分を越えないこと。
(3)歯磨き粉・シャンプー・2歳未満の乳幼児用ローション- 爪切り- おむつとおまるなどの数量を定める。
(4)トイレは1つあたりの割り当ては最大20人。
避難所の運営
スフィア基準では、各被災世帯の全てのメンバーが最大限可能な範囲で提供されるシェルターでの援助の種類の決定に参画することを求めています。
援助を受ける側であってもより安全で快適な援助生活を求める権利を謳っています。
被災者への配慮
1避難所運営では、「被災集団に対する尊敬の文化を促進する」必要があります。
あらゆる場面で人権を守る視点が必要であることを求めています。
2)特にさらなる被害を受けやすい、子ども、女性、障がい者、高齢者などに対する配慮が必要です。
「被災者が性的虐待、汚職、搾取およびその他の人権侵害から守られるようにする」としています。
3)苦情受け付け手順を策定し、機関の行動規範に対する違反が確認された際には援助職員に対して適切な懲罰的措置を取ることを明記しています。
援助スタッフへの配慮
日本では、援助に当たるスタッフにも献身性を求めますが、基準では援助スタッフへの配慮も求めています。
1)災害復旧では、スタッフの安全面の確保や退避ガイドラインを定めること。
2)避難所では、援助スタッフの休息や食事ができるよう場所の確保など、避難所運営マニュアルに定める必要がある。
3)援助スタッフ(保育者)に対しては、心理社会的サポートを得られるように確保する必要がある。
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四天王寺の慰霊碑

大阪はあまり震災との関係が深くないように思われてきましたが、2018年の大阪府北部地震の発生で注目されました。
南海トラフ地震の危険性については依然紹介しましたが、歴史的にも大阪は津波の被害に遭っています。
写真の慰霊碑は、聖徳太子が建立したと言われている四天王寺の境内にある安政南海地震(1854年12月)による津波の犠牲者を慰霊する碑です。
大阪湾岸は埋め立てが進んでいるため幕末当時は今よりは海が近かったわけですが、それでも海から4キロ以上離れていたようです。
安政南海地震は、マグニチュード8.4から8.7程度と推定されていますから、東日本大震災よりも規模は小さく、しかも大阪は南海トラフからかなり離れていますが、かなりの津波の被害にあったようです。
海から遠いから大丈夫ではなく、歴史からも学ぶ必要があります。
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