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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

東日本大震災のボランティア活動

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東日本大震災のボランティア活動

東日本大震災のボランティア活動の特徴 

仮設での活動
名古屋短期大学学生の仮設住宅での活動風景(石巻市)

震災時は、まずは人命救助が最優先され、次いで震災直後から電気、水道、ガス、道路などのライフラインの復旧に力が注がれます。
東日本大震災のときも、全国各地から消防・救急隊員、自衛隊、警察、医療関係者や工事関係者などの専門家が初期の段階から被災地に駆けつけ、被災地の復旧に当たりました。電気事業者、ガス会社、水道工事業者、建築業者なども専門性を生かして復旧活動に取り組みました。
また、東北3県では、自治体機能も崩壊したところも多かったため、多くの自治体職員が支援に駆けつけました。
同時に、避難所に避難した被災者の支援やがれき撤去などの一般市民のボランティアも全国から駆けつけました。

130万人以上がボランティア活動に参加

なかよし保育園

各市町村社会福祉協議会に設置された災害ボランティアセンターを経由して活動したボランティア数は、ピークであった2011年6月の182,400人を筆頭に、2014年7月31日までに、延1,381,700人でした。
がれき処理のボランティアは、災害ボランティアセンターがかなり把握していると思われます。
避難所の支援などは、災害ボランティアセンターを通さないで活動している人たちも多いことから、実際の参加者はもっと多いし、他県に避難した人をサポートしている人たちもたくさんいました。
それでも東日本大震災は、阪神・淡路大震災と比較すると被害の甚大さと比較するとボランティアの数は十分ではありませんでした。
その理由としては、首都圏から遠く、被災地が広範囲であること、当初、交通も遮断され、宿泊設備も限られていましたしホテルなどの多くも被災しました。そのため、ボランティアを希望する人もなかなか参加できなかったことが挙げられます。

初期のボランティア活動

被災地における初期のボランティア活動は、災害ボランティアセンターを通じて、被災家屋(個人宅)のがれき除去や清掃、側溝整備(泥だし)、土砂の土嚢詰め、田畑・河川の土手のがれき除去、救援物資の仕分け作業、避難所の環境改善活動、写真整理、イベントの補助、草刈りなどの力仕事を中心としたボランティア活動でした。
医療関係者や臨床心理士などは、避難所の入り被災者に対して専門的な支援をしましたが、子どもの支援に入ったボランティアは限られました。
災害ボランティアセンターは、がれきの撤去に追われ、被災者、特に子どもへの支援に目を向ける余裕はありませんでした。

仮設住宅移行後の活動

第1回訪問仮設住宅
遊び場がないため道路で遊んだ
みんなに笑顔をとどけ隊はらぺこあおむし
保育園の訪問活動

仮設住宅は、震災後の1か月頃より建ち始めました。生活の拠点が仮設住宅に移ると、被災地で求められるボランティア活動は、被災者の生活支援(買物支援、調理支援)などの環境整備、安否確認、孤立防止などの活動が中心となっていきました。
仮設住宅は、公園など被災地のほとんどすべての公園や空き地をつぶして建てられました。
そのため子どもたちの遊び場は、道路になってしまいました。
ボールが駐車している車に当たり叱られる、仮設住宅の壁は薄いため大きな声を出しては叱られるということも少なくありませんでした。
また、仮設住宅によっては地区ごとにまとまって入居した所もありましたが、抽選で当たった家族から入居するため、子どもたちは友だちがいない中での生活となりました。

被災地以外での活動 

今回の震災では、福島原発の影響や復興が進まないことから生活の拠点を他県に移した人がたくさんいました。
復興庁の発表によれば、
2014年11月13日現在の避難・転居者数は235,957人で、内訳は、住宅等(公営、仮設、民間賃貸等)219,229人、親族・知人宅等16,214人、病院等514人となっていました。
このうち県外への避難・転居者数は、岩手県から1,454人、宮城県から6,843人、福島県から46,070人でした。
被災地以外での活動としては、避難した人の受け入れとサポート、子どもの学習支援などがおこなわれているのも今回の震災の特徴でした。

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3.巨大災害時における子どもの救済は孤児の支援から

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3.巨大災害時における子どもの救済は孤児の支援から

伊勢wン台風、阪神・淡路大震災と振り返ってきましたが、それ以前はどうだったのでしょうか。

濃尾地震における孤児救済活動

災害時に全国的な規模での復旧ボランティア活動を行ったのは明治期からです。
災害時における子どもの救済では、1891年、7,273人の犠牲者を出した濃尾地震の際に岡山孤児院長の石井十次が名古屋で名古屋震災孤児院を開設したことや石井亮一、留岡幸助などの社会事業家が被災した孤児の救済に当たったことが知られています。
3人共にキリスト教の信者であり事前活動かということもあり救援に駆けつけました。
註1)石井十次が開設した岡山孤児院は、無制限収容を謳い最高時は,1,200名の子どもたちを保護した。石井亮一は後に障がい児施設滝野川学園を開設した。留岡幸助も後に非行の子どもたちの感化院(現在の児童自立支援施設)である家庭学校を開設した。

関東大震災では大学生が救援活動

また、関東大震災では、東京帝国大学を中心とした学生が被災者の救援活動をしたことが記録されています。
上野の山で死者の運般などを行ったとの記録が残っていますが、子どもたちを対象とした支援の記録は残されていません。
東京帝国大学の学生は、関東大震災の復旧活動の後に東京帝国大学セツルメントを結成し、その中の託児部がスラムの子どもたちに対する支援活動を行っています。

震災保育ボランティア活動の原点です。

2.阪神・淡路大震災の取り組み

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2.阪神・淡路大震災の取り組み

1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災は、日本における地震観測史上初めて震度7を経験し、犠牲者は6,434人に達しました。
0歳から19歳までの子どもの犠牲者は569人(犠牲者中8.8%)に及びました。

ボランティア元年

130万人から150万人が参加したともいわれる10代から20代の若者を中心とするボランティア活動の中に保育・遊びでのボランティア活動が含まれていました。
神戸の避難所では短期間であるしたが、伊勢湾台風の時と同様に臨時保育所が開設されました。

保育所も避難所に

同時に、公立園だけでなく私立園の一部の公立保育所が避難所として利用されたため、保育ができないという園も出ました。
住居を失い大阪府などに一時的に転居した家族に対して、各地の自治体の住居の提供だけでなく保育所は定員外で子どもの入所を受け入れました。

心理的ケアの取り組み

また、阪神・淡路大震災では、被災した子どもたちに対する心理面でのケアが進み、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が日本で定着しました。
兵庫県下の児童相談所が同年6月から7月にかけて行った児童の保護者を対象の調査において12,465人から回答を得ましたが、「直後のみ症状を出した児童は全体の58. 3%で、直後から6ヵ月後まで症状が持続している児童は全体の23. 7%、6ヵ月後に症状が現れた児童は全体の18.0%」「一方で数ヵ月経ってから症状を出す児童も多く、長期的な日でこころのケアが必要であると言える」と報告されています。
また、「年齢別にハイリスク児童の出現率をみると、震災直後、6ヵ月後ともに0~5歳児が最も高くなっており、幼児への影響が大きくなっている。これは、幼児は恐怖や不安を解消するための手だてが容易に持てなかったり、先の見通しを持つ力が弱いことや親の不安をそのまま受けてしまうことが影響していると思われる」と指摘しています。
註1)人と防災未来センター「震災復興誌第1巻」p.371-p.372。

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