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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

被災地と向き合った保育学生 その6 子どもたちや被災者の声

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被災地と向き合った保育学生 その6 子どもたちや被災者の声

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仮設の遊び場は駐車場

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仮設は壁が薄く寒いので寒さ避けの入り口の囲い

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南境の仮設住宅(当時)

今回は、震災の年の子どもたちや被災した人たちの声を紹介します。
石巻市蛇田北部2号公園仮設住宅で活動した学生と5歳の男の子との間では、こんな会話がありました。

お星さまになったお父さん
学生「この中から好きなうちわ持ってっていいよ。」
子ども「お兄ちゃんの分もいい?」
学生「うん!家族みんなの分いいよ。」
子ども「…うーん。みんないないー。」
学生「え?」
子ども「うちわ…うーん。いいー。」
学生「そっかぁ。また明日も来るから欲しくなったら持ってっていいからね。暑いしね。」

子どもと2人で外で遊んで、少したってからも会話は続きました。
子ども「やっぱり、いるー。」
学生「うちわかな?」
子ども「うん…。」
学生「好きなの選んでいいよ。」
子ども「あのねー。お父さんいないからねー。4枚いいー?」
学生「全然いいよ!どのうちわがいいかな?」
子ども「あのねー。お父さん、津波でざぶんなってお星さまになっちゃったのー。だから、うちわいらないよ。」
学生「そうなんだぁ。お姉さんに色々お話してくれてありがとうね。」
子ども「うん!お母さんは猫好きだからこれ!お兄のはこれで…。」

第2回目の訪問でも同じような声を聞きました。南境谷地公園仮設住宅で活動した学生は、仮設住宅で生活する子どもと次のような会話をしました。

気を遣う子どもたち
子ども「大きな音で聴いてると、お母さんに怒られるんだよ。」
学生「どうして怒られるの?」
子ども「だって、仮設は壁薄いから。◯◯(名前)の部屋は、端っこだから隣りに聴こえちゃうの。前は、カラオケよく行ってたけど、震災後は行ってない。」
学生「そうなんだ。誰と行ってたの?」
子ども「家族だよ。でも、カラオケ屋さんは、津波で流されちゃったんだよ。」

年配の方の声
第1回目の訪問で南境地区公園仮設住宅で活動をした学生は、子どもたちが他の学生と遊んでいる様子を眺めながら仮設で生活する住民と次のような会話をしました。
おじいさん「なーんもすることがなくて退屈だけど、子どもの声がするといいなぁ。」
学生「子どもたちみんなすごく元気ですよね。」
おじいさん「ああ、孫がふえたようだよ。ここにいると本当にやることがないからなぁ。」
学生「そうなんですね、よろしかったらおじいちゃんも一緒にどうですか?」
おじいさん「いやいや、わしはもう年だから。」
学生「じゃあ、またちょっとだけでも顔だしてくださいね!そういえば、私今日高いところからこの街の景色見てきたんですけど、自然がいっぱいですごくいいところですね。」
おじいさん「そうだぁ。ほんとにいいところなんだ。でも、前はもっと綺麗だったんだよ。全部流されたからなぁ。こんなことになってな。わしはもう先が短いけど、あの子たちは大変だなぁ。大変な思いをいっぱいするんだろうなぁ。全部流されたけどな、子どもたちはこの街の希望だ。ここの子どもたちはこうやって遊んでもらえて幸せだなぁ。」

お母さんたちの声
仮設住宅で活動した別の学生が聞いた若いお母さんとの話です。

この子が助けてくれた
お母さん「当時3か月だった息子と一緒に車に乗っていて、車ごと津波にのまれ、流されてしまいました。運よくどこかの住宅に突っ込んで、そこからは流されずに済んだけど、そのまま車は水の中に沈んでいきました。私は気を失ってしまったのですが、この子の泣き声で気が付き、救助を待つことができました。」
―話を聴いた印象では、やっぱりすぐには救助がこなかった(1日後とか?)ようでした。
お母さん「この子が助けてくれた。きっと(地震で)亡くなったおばあちゃんが守ってくれたんだね。」

少しでも支えになれば
蛇田北部2号公園仮設住宅で活動した学生は子どもの母親から次のような言葉を聞きました。
お母さん「(石巻の人は)言葉がとてもなまっているでしょう?この辺はあまり被害は無かったんだけど、川沿いの方がね・・・。私も実際に友たち亡くしたし、散々泣いた。子どもも最初は揺れる度に怖がったけど、大分落ち着いたしね。でもこうやってボランティアの方が沢山来てもらえてありがたいよ。」

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被災地と向き合った保育学生 その5 はじめての訪問

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被災地と向き合った保育学生 その5 はじめての訪問

マイクロバスで11時間の移動


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通路や足元にも荷物でいっぱい

2011年8月1日、マイクロバスにサッカーボール300個など救援物資や自炊道具など、マイクロバスの通路や足元まで荷物を詰め込みました。専攻科と保育科の2年生のほとんどは、前日に公務員採用試験の筆記試験を受けていましたので、かなり疲れていたはずです。
同行教員は、学生からも信頼の厚い岡林恭子先生にお願いしました。幼稚園の園長の経験もあり、保育面での指導もできる方です。以後、4年間にわたり年2回の訪問に同行して学生たちを支えていただきました。
出発当日は、19名の学生と2名の教員は補助席もすべて使い、石巻市に向け11時間の旅をスタートしました。

なかよし保育園に到着

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大橋先生の歓迎のあいさつ

石巻河南インターを降りてから、学生たちは、車窓から食い入るように街の様子を見ていましたが、インターから保育園までの道は海から離れているため、シャッターの閉じられた店が見られるものの、津波による大きな被害は見ることはありませんでした。夜7時になかよし保育園に到着です。
早速、宿舎として提供していただいた2階の子育て支援センターに荷物を運び、大橋巳津子園長の歓迎兼震災時の保育園の話を聞かせていただきました。震災時の話を聞き、学生メンバーはいよいよ被災地に来た実感が湧くと共に身の引き締まる思いをしました。

川開きの花火

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到着後、石巻市の川開きの企画の一つである花火大会を見に行きました。花火大会については、震災の年ということで実施するかどうか判断に苦しんだそうですが、鎮魂の意味も込めて開催が決定されたそうです。
きれいな花火でしたが、もの悲しい花火を見たのは初めてでした。津波で壊滅状態となった旧北上川の中州から打ち上げられる花火を被災された方たちはどのような思いで見ているのだろうと思うと涙が流れてきました。

なかよし保育園での活動

なかよし保育園活動

午前中の活動は、なかよし保育園の子どもたちとの交流です。なお、2015年からは、塩竈市のあゆみ保育園、女川町立第一・第四保育所と子育て支援センター、石巻市立井内保育所、にじいろクレヨンののくのくハウスなどの協力を得ながら午前中の活動を継続しました。
さて、なかよし保育園ですが、震災時に床上まで浸水したこともあり、側溝などから鼻を突くようなにおいがしていました。学生は、各クラスに入りボランティアをしました。第1回目のメンバーは専攻科中心でしたが、学生はすでに保育士資格を持っていますし、週2日は保育所で実習をこなしていますので、即戦力になります。追加募集した保育科2年生も優秀な学生を選抜しましたので、すぐに子どもたちの輪の中に入れます。
また、全員で練習した大型絵本「はらぺこあおむし」の合唱バージョンを園児の前で披露しました。なお、「はらぺこあおむし」は、その後もバージョンアップをしながら、訪問活動だけでなく、愛知県内のイベントなどでも披露しました。

学生たちが初めて見た被災地
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被災地を目の当たりにして涙も声も出ない

午前中の活動を終え、夕方の避難所の活動まで時間があるときは、被災地を訪問しました。最初に訪問したのは、最も被害の大きかった石巻市門脇地区など海沿いの被災地です。私が以前訪問した時よりは少しは片付いたものの、あまりにもひどい光景に元気な学生たちも口を閉ざし、呆然として目からは涙がこぼれ落ちていました。みんな声も出ないほどのショックを受けているのが表情からわかります。
ある学生は、その時の感想を「私たち学生一人ひとりがそれぞれいろんな思いを胸にボランティアに参加する中で、私はテレビ画面からでは伝わらない現地の思いや状況を自分の目で感じたい、そして何よりも、被災された方の力になりたいと強く思ったため参加しましたが、実際に被災された場所に行くと、見た瞬間、目から涙がこぼれ落ちました」と語ってくれました。
また、別の学生は、「私は、倒壊した建物や町並みを見たとき、そこにはそれぞれの生活や、大切な宝物があると感じました。毎日、家族と笑い合った自分の居場所や大切な人を、突然失くす深い悲しみは、想像を超えるものだと思います」と語っています。

避難所での活動開始

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午後のボランティア活動は、学生を3名から4名の6グループに分け、毎日、同じメンバーが同じ場所に入りました。避難所は4か所で6月頃より建ち始めた仮設住宅にも2か所入りました。
避難所は、家庭ごとに仕切られてはいましたが、プライバシーなど無い状況です。避難所によっては、体育館の舞台を子どもの遊ぶスペースとして使ってもよいと言われていましたが、子どもたちも体育館で生活している人に迷惑がかかることはわかっていますので、外遊び中心です。
仮設住宅では、1か所は集会場が使えて室内遊びも取り入れましたが、もう1か所の仮設住宅では子どもたちと道路や空き地で遊びました。当初は、近くに店もなく、トイレにも行くことができない中での活動でした。
ボール遊びや縄跳びなど、ごく普通の遊びですが、大きなシャボン玉作りは好評でした。
子どもたちは、遊びを通して震災の話もしてくれました。

ある子どもは、鬼ごっこの途中に道に座って休憩しているとき、2階建ての家を指差して、「あのね、あの家よりずっと高い津波が来たんだよ。ぜんぶ流されちゃった。でもね、ランドセルだけ見つかったんだよ」と話してくれました。

また、別の学生が、子どもに「いつもは何をして遊んでいるの?」と問いかけたところ、HくんがRちゃんに向かい、「いつも死人ごっことかやっているよね!」と言いました。

学生には、ボランティアの側から震災や家族については質問しないこと、ただし子どもたちから話が出たときは否定しないで話を聞いてあげることを伝えていましたので、学生たちは震災の話にショックを受けながらも冷静に対応しました。

好評だった手作りうちわ

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300人の学生がうちわ作りに協力

とどけ隊のメンバーとして訪問できない学生に対して、避難所の中で困難な生活をしている人たちに手作りうちわを届けたいと呼びかけたところ、短期間に320名の学生が協力してうちわを作ってくれました。短期間の呼びかけでしたのでどれだけ協力してくれるのかわかりませんでしたが、当時の保育科の学生数は、1・2年生合わせて520名ほどですから、過半数の学生が協力してくれました。家庭にあるうちわの紙をはがし、新しく紙を貼り、そこに新たに絵を描くというものです。
多数集まると、今度は被災者の方が喜んで受け取ってくれるのか、余らしても捨てて帰るわけにもいかないということで、不安になりました。
実際に訪問すると、学生たちが子どもにも協力してもらい避難所で生活する人たちや仮設住宅の各家庭に配りましたが、涙を流して受け取っていただけるなど大変好評でした。避難所や仮設住宅に見ず知らずの学生が入るわけですが、被災者の方と話をするきっかけ作りにもなりました。

被災地と向き合った保育学生 その4 18回の訪問活動

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被災地と向き合った保育学生 その4 18回の訪問活動

訪問先は石巻市

2011日和山より2

筆者が学生たちと訪問することになった石巻市ですが、被災する直前の人口は162,822人(2011年2月現在)で、宮城県では仙台市に次いで人口の多い市ですが、現在の人口は141,616人(2017年3月1日現在)と、震災後に2万人以上減少しています。
地理的には、仙台平野の太平洋側の最北端にあります。北上川の河口に位置し、サンマなどの漁業が盛んな街です。
今回の震災ではリアス式海岸の町々が壊滅的な被害を受けましたが、石巻市は仙台湾に続く石巻湾に面しており、平地も多いことから最も人的な被害の大きかった自治体です。
2017年3月1日現在の死者数は3,278人(直接死のみの数字)、行方不明者数は426人、計3,704人です。震災による犠牲者数では、全体の約5分の1を占めました。
また、住宅・建物の被害では、全壊、半壊合わせて22,419か所に上りました。沿岸部並びに河口付近は8.6メートル以上の津波が押し寄せ、2階建の建物の屋根を越す津波と津波火災により壊滅的な被害となりました。

保育ボランティアに専念

なかよし保育園活動

訪問活動ですが、活動内容は当初から保育ボランティアに絞りました。
女子大なので体力勝負ということは無理ですし、避難所の子どもたちに遊ぶ機会が少ないことは訪問を決めた時からわかっていましたので、遊び中心で活動することはチームを結成する時から決めていました。
活動をしながらわかったのですが、地元の保育系大学を除けば、保育に焦点を当てたボランティア活動は極めて限られていました。
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写真はとどけ隊の学生

訪問は継続的に

訪問回数は、第1回目の訪問を決めるまでは、次回以降の訪問をどうするかは決めていませんでした。準備活動をする中で、1回だけの活動ではなく、東北の子どもたちに継続して支援をしなければいけないと思うようになりました。
夏休みに2回と春休みの1回の訪問活動を中心に、愛知県内に被災地の現状を伝えることなど、できる限りのことをすることにしました。

にじいろクレヨンとの連携

年3回の訪問となれば、継続した活動と言っても間隔があり過ぎます。様々な問題を抱えた子どもたちの支援に責任を持てる活動とはとても言えません。私たちは、避難所、仮設住宅での活動は地元で活動しているにじいろクレヨンのサポートをしていくことにしました。ですから、活動場所も石巻市中心に絞りました。

資金確保など課題は山積み

第1回目の訪問の準備をする中で、活動場所、宿舎、車両の目途がつきましたが、最大の問題は資金の確保です。大学だけでなく、名古屋短期大学同窓会にも支援していただき、学生メンバーも募金活動に熱心に取り組みましたが、3年目くらいまでは年度末はいつも赤字でした。
当初は、共同募金会からの支援、後半は住友商事の支援を受け、そして大学の支援が継続して得られるようになり、やっと安定して活動ができるようになりました。

被災地と向き合った保育学生 その3 訪問の準備

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被災地と向き合った保育学生 その3 訪問の準備

準備活動
学内での募金活動 集まった募金はにじいろクレヨンに寄付

私たちに何かできることはありませんか

その頃、大学の学生たちは募金活動には取り組んではいましたが、特に大がかりなものではなく、学内で学生と教職員を対象に募金を集める程度でした。
5月に入り、保育専攻科の学生数名が研究室に来ました。専攻科の学生は、短大を卒業した後に進学し、保育所で週2日間の実習をしながら、幼稚園教諭一種免許状の取得を目指しています。保育士資格も取得済みです。
「私たちも東北の人たちに何かしたいのですが、募金以外に何かできることはないでしょうか」という相談でした。
専攻科の学生だけで話し合っていたものの、何ができるのか、どうすればよいかもわからないということでした。
私は、「宮城県石巻市の保育園に泊まり込み、避難所の子どもたちに保育で関わるボランティアの派遣を考えている」ことを伝えました。
学生たちは、「ぜひ、私たちに行かせてほしい」と申し出があり、このメンバーを中心に訪問グループを組むことにしました。専攻科の2年生9名は、まとまりもありますし、4年間教えてきて信頼関係もできています。これで核になる即戦力のメンバーが確保できました。

準備開始

専攻科2年生を中心に準備活動を開始しました。
ボランティアサークルの名前は、学生たちが「みんなに笑顔をとどけ隊」(以下、とどけ隊とする)と決めました。
次の課題は、追加メンバーの選定、車両と費用の確保、活動資材の確保、募金・救援物資集め、保育園に寝泊まりして自炊生活するための資材の準備です。
6月に入り、東北にボランティアを派遣することを公表すると、1年生だけで100名以上の希望者が出ました。マイクロバスに乗れるのは、運転手2名、引率教員2名を除くと学生は19名です。
結局、専攻科の1・2年生を中心に保育科の2年生を4名入れることにして、人数の関係で行くことができない学生は他の団体が行う震災ボランティア活動を紹介しました。全訪問メンバーが確定したのは、7月1日です。

メインの活動をどうするか

メインの活動は、避難所の人たちや子どもたちにカレーライスを提供しよう、などと話をしていました。 
7月中旬、私が石巻市を訪問し、宿舎となるなかよし保育園を見せていただき、設備などを確認しました。また、柴田さんとお会いし、ボランティア活動の打ち合わせをしました。
柴田さんの話では、タレントやボランティアはたくさん来るが、子どもたちとずっとかかわってくれるボランティアが少ないこと、年配の被災者は芸能人の慰問を喜ぶが、子どもたちはイベントではなく普通の遊びを求めているということでした。
短大に戻り、学生たちに柴田さんの思いを伝え、方針変更です。イベントではなく、子どもたちと普通の遊びで関わる準備に切り替えました。

資金の確保

学生たちは、避難所でどのような遊びができそうかという検討を始めると共に、募金活動や避難所生活をしている被災者の人に配るうちわ作成を学生に呼びかけました。
残った大きな課題は、活動資金と車の確保です。
車両は、大学のマイクロバスの無償で提供してもらうことにしても、マイクロバスの運転は大型免許証が必要ですし、東北まで行こうと思うと、安全面を考慮して運転手は2名の乗車が必要です。
試算すると、1回の訪問で、運転手の人件費と宿泊費、必要経費を含めるとおおよそ50万円ほどが必要になります。
6月、大学からマイクロバスの提供と運転手2名の人件費などの経費を負担していただけることができました。
大変だったのは、運転手の宿泊先の確保です。津波の被害で営業していないホテルや工事関係者が長期宿泊していて部屋が空いていないのです。
7月中旬に石巻市を訪問した時に、市内で営業を再開していた全宿泊施設に当たりましたが、全て満室でした。隣の東松島市にも足を運び、歩いて民宿などを回りましたが、こちらも工事関係者が長期に滞在しているため確保できず、結局、7月下旬になり松島町の旅館を確保することができました。これで訪問に向けた障壁がすべてなくなりました。

自分たちの生活費は自己負担で

食事などのボランティアメンバーが生活面で使う費用は、寄付金や補助金は使わないで参加者が負担するというルールにしました。
以後、筆者が名古屋短期大学を退職する2017年3月まで、とどけ隊として、夏休み2回と3月の年3回、計18回の石巻市訪問と3回の被災地訪問ツアー、愛知県内での活動を企画しました。
また、野津ゼミナールの震災と保育グループととどけ隊の共同企画として、4回の福島訪問を行いました。東北への訪問だけで、6年間で延べ4か月を超える活動のスタートです。

被災地と向き合った保育学生 その2 大橋先生、柴田さんとの出会い

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被災地と向き合った保育学生 その2 大橋先生、柴田さんとの出会い

なかよし保育園の宿泊OK

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第1回訪問では大橋先生が暖かく迎えてくれました

名古屋に戻り、紹介されたなかよし保育園の大橋巳津子園長(当時)に電話を入れました。
福島県からのリレーで紹介していただいて電話したこと、夏休みに保育学生を連れて避難所で保育ボランティアをしたいが宿舎が確保できないことを伝えると、二つ返事で「2階にある子育て支援センターで宿泊するだけだったらどうぞ」と、快諾を得ました。
後日談ですが、知らない学校の学生たちに宿泊先として提供するということについては、共同保育所運動でいろいろな人たちとのつながりで保育所を運営してきたので、人を信頼するということができていたからだと思うと述べられていました。
いずれにしても、石巻市は多くのホテルが被災し、宿泊できるホテルは復旧関係の工事関係者が泊まっていて確保は不可能でしたので、最大の問題がクリアとなりました。

石巻避難所クラブとの出会い

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画家で剣道家の柴田さんは学生の人気絶大

次は、活動する避難所の選定です。
がれき撤去のボランティアは、各地の災害ボランティアセンターに行けば活動場所は紹介してくれます。
石巻市の被害が大きいことはニュースで確認していましたが、どこの避難所で保育ボランティアの活動を受け入れてくれるのかは皆目見当がつきません。
ほとんどの避難所に子どもはいるはずですがどこの避難所に行けばよいのか、避難所での保育のボランティア活動は受け入れは可能なのかなど、皆目見当がつきません。
石巻市災害ボランティアセンターに何度か電話して、やっと連絡が取れました。
センターの担当者は、「がれき撤去の作業に手一杯です。避難所の子どもたちのことは気になってはいますが、手が付けられない状況です。柴田滋紀さんという人が石巻こども避難所クラブ(現・NPO法人にじいろクレヨン)という団体を作り活動を始めているので、柴田さんに相談してみてください」というアドバイスをいただき、連絡先を教えていただきました。
柴田さんに電話をしたところ、避難所の子どもたちに遊びの機会を提供するための活動を始めたばかりだが、学生を受け入れることは可能ということでした。夏休みの受け入れも了解が取れ、やっと宿泊先と活動場所の目途がつきました。

これから学生を募集すること、車両や費用の確保、どのような活動をするのかなどの訪問の準備が残されています。

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