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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

阪神・淡路大震災を振り返る 北淡震災資料館を訪問して

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阪神・淡路大震災を振り返る
北淡震災資料館を訪問して


阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分に発生しました。
震源地は、淡路島北部の現在の淡路市(当時は北淡町)で、震源の深さは16kmでした。
地震の規模は、マグニチュード7.3、最大震度は、日本の地震観測史上最大の7でした。
最初にきわめて大きな揺れが10数秒続き、しばらくして短いが大きな余震もありました。
震度7の地域は、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市の各一部と淡路島の東北部でした。

死者の多くは最初の数秒で犠牲に

震災による死者は6,434人、行方不明者3名でした。死亡者の9割以上は家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫死で、最初の大きな揺れで建物が倒壊したときに亡くなったと思われます。

死亡の推定時刻は、当日の6時までとなっており、ほとんどが即死状態だったとされています。
その他の死因は、火災、精神的ショックなどです。

建物の被害は、全・半壊が約25万棟、ライフライン関係では、平均、電気で6日間、水道の断水は神戸市全域の復旧は3か月にも及びました。

直下型地震は事前の備えが最重要

阪神・淡路大震災は、早朝の子どもたちが寝ている間でした。
もしも保育時間中に発生した時はどうすればよいのでしょうか。
立っているができないような大きな揺れが数秒間続いたときには建物が倒壊してしまうのですから、大きな声で指示する以外、ほとんど何もできないでしょう。
耐震補強や家具の転倒防止などが子どもの命を守るカギになります。

北淡震災資料館の訪問

阪神・淡路大震災は、野島断層が水平に2m、垂直に1.2mずれたことのより発生したもので、断層や当時の家屋などの一部が北淡(ほくだん)震災資料館に保存されています。

今回、初めて北淡震災記念館を訪問しました。
記念館は、淡路島の北部の淡路市(旧・北淡町)にあります。
阪神・淡路大震災では、水平に2m、垂直に1.2m野島断層がずれましたが、記念館には写真の通り、ずれた断層や生垣、住宅が保存されています。

北淡震災記念館3
2段にずれたことがわかる

野島断層
垂直に1.2mずれている

北淡震災記念館1小
住宅内は再現されている

また、阪神・淡路大震災と同じ揺れを体験できるコーナーもあり、観光で淡路島を訪問されるときは、立ち寄り先に加えられてもよいと思います。

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1月17日 阪神・淡路大震災から26年目

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阪神・淡路大震災から26年目

1月17日 阪神・淡路大震災から26年目


プレート

1995年1月17日5時46分、淡路島北部から神戸市にかけてマグニチュード7.3、最大震度7の直下型地震が発生しました。
犠牲者は震災関連死も含めて6,343人で、東日本大震災が発生するまでは第二次世界大戦以降最大の自然災害でした。

直下型地震は海溝型地震以上に予測できない

国土地理院ホームページより

阪神・淡路大震災の直前の今後30年以内の発生確立は0.02%から8%でした。
南海トラフ地震の発生確立の70~80%と比較すると、ほとんど発生しないのではないかという確率です。
地震列島日本は、4つのプレートが重なり合う場所にあり、陸地側のプレートにもひずみが生じ、断層ができます。
プレートの境界で発生する地震は数十年から100年とかという周期の短い地震も多いため、発生確立も高い数字が出ますが、それでもいつ発生するという具体的な予測は、年段階でも出すことができません。
直下型地震の発生確立は数千年と長いものが多く、プレート境界型地震以上に予測が立ちません。

全国の主要活断層は111

2021年1月17日のNHKのニュースWebによると、現在、全国の主要な活断層は111か所あります。
直下型地震の発生確立は数千年と長いものが多く、最高ランクの発生確立が3%以上のSランクは31か所あります。
切迫度が高い活断層は8か所あり、高い順に「糸魚川ー静岡構造線断層帯」のうち長野県の区間、静岡県にある「富士川河口断層帯」、熊本県の「日奈久断層帯」の一部、長野県の「境峠・神谷断層帯」、「中央構造線断層帯」のうち愛媛県の区間、岐阜県と長野県にある「阿寺断層帯」、神奈川県にある「三浦半島断層群」、広島県と山口県の沖合の「安芸灘断層帯」となっています。

事前の備えが重要

直下型地震の揺れは短く、阪神・淡路大震災の時は、12秒間程度でした。
断層近くでは、巨大地震の場合は突き上げるような萩しい揺れですので、阪神・淡路大震災クラスの地震では、机の下にしゃがみ込む、何かにつかまるくらいしかできないでしょう。

園舎の耐震補強、クラスの棚の固定、落ちると危険な物を棚の上に置かないことが重要です。




明治三陸地震 小さな揺れで大津波

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明治三陸地震
最大38.2mの大津波


明治三陸地震は、1896年(明治29年)6月15日、現・岩手県釜石市の東方沖200kmの三陸沖を震源として起こった地震でした。マグニチュードは8.2- 8.5で、津波は現在の大船渡市の綾里湾で38.2mの津波が観測された外、現宮古市で18.9mの大津波を観測するなどしました。
三陸地震の前には、1888年(明治21年)の磐梯山の噴火や1891年(明治24年)の濃尾地震が発生しています。

死者は東日本大震災に匹敵

死者・行方不明者合計:2万1,959人(北海道:6人、青森県:343人、岩手県:1万8158人、宮城県:3,452人)、行方不明者:44人、負傷者:4,398人という大変な被害を出しました。

地震による揺れは小さかった

明治三陸地震の特徴は、巨大津波と比較すると地震の揺れが小さかったことです。
当時の震度は、「烈」(現在の震度6弱以上に相当)、「強」(震度4-5強)、「弱」(震度2-3)、「微」(震度1)の4段階でした。
明治三陸地震では、気仙沼市は「微」、宮越は「弱」の地震で、大きな揺れではありませんでしたが、前述の通り巨大津波が来ています。      
その後、東北は昭和三陸地震でも震度5で、津波は三陸町で28.7mを記録しています。
また、記憶に新しい東日本大震災では、大船渡市で震度6弱で津波11.8m、宮古市で震度5強で津波8.5m以上が発生しています。

大きな地震でなくても巨大津波は発生する

以前も書きましたが、プレート境界型地震の場合、揺れがそれほど大きくなくても巨大津波が発生することがあります。
海沿いの地域では、小さな揺れでも油断することなく対応しなければならないと思います。 

貞観地震と日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震

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貞観地震と日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震

東日本大震災は、1000年に1度の巨大地震といわれました。
三陸沖は度々地震が発生し、特に宮城県沖地震の発生間隔は38年と短く、当時の発生確率も今後30年以内に90%といわれていました。前回の地震は1978年に発生し28人の死者が出ました。
しかし、東日本大震災はその想定をはるかに上回る巨大地震でした。
「1000年に一度」とは、869年に起きた貞観(じょうがん)地震を指して言われました。

貞観地震は死者1000人

貞観地震は、三陸沖で発生した大津波を伴う地震で推定マグニチュードは8.3から8.6、宮城県では津波が4キロメートルの地点まで到達したようですから、まさに東日本大震災クラスの地震だったようです。
死者は1000人と言われています。

1000人と言うと少ないようですが、ファリスという研究者の推計では、950年当時の日本の人口を約480万人としています。
現在の人口が1億2596万人(2000.4.1現在)ですから、1000人の犠牲者を現在に置き換えると2万6000人程度となります。

相次いで火山の噴火、地震が続く

貞観地震の5年前の864年には、富士山が大噴火を起こしています。貞観噴火と呼ばれ、記録に残っている富士山の噴火では、最大の噴火で2年近く噴煙を上げ、大きな被害が出ました。
同年には、阿蘇山も噴火し、前後して各地の火山が噴火しています。
巨大地震も868年兵庫県、878年関東地方、887年南海地震(M8.0~8.5)と続きました。
当時は、日本列島全体が大きな活動期に入っていたと思われます。

日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震発生の可能性

内閣府の検討会は、2015年より、過去6千年間に起きた津波による堆積物を分析するなどの手法で北海道から岩手県にかけて発生した津波を分析しました。
東日本大震災は、茨城県から岩手県に及ぶ日本海溝がずれたことによる地震ですが、その北側に当たる地域から、千島海溝に及び地域が該当します。
その結果、大津波の発生間隔は、300~400年であることがわかりました。
最近では、12~13世紀と17世紀にそれぞれ最大規模の津波が起きています。
17世紀の地震は、1611年の慶長三陸地震で、福島から岩手にかけて、数千人が津波の犠牲となっています。
その慶長三陸地震から400年ほど発生していないことになるため、検討会は「17世紀の津波からの経過時間を考えると、最大クラスの津波の発生が切迫している状況にあると考えられる」と指摘しました。

阪神・淡路大震災の保育ボランティア活動

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阪神・淡路大震災の保育ボランティア活動

ボランティア元年
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、死者6,434名、行方不明者3名の犠牲者を出しました。
この震災では、若者を中心とする多くのボランティアが支援にかけつけました。
阪神・淡路大震災では、既存のボランティア団体に所属しない若者を中心の100万人以上のボランティアが参加しました。日本で震災ボランティアが定着したのはこのときで、のちに「ボランティア元年」と呼ばれました。

1日平均2万人
兵庫県の調査によると、1月17日から2月17日までの1ヵ月間の1日当たりのボランティアの人数は避難所12,000人、救護物資の搬出・搬入3,700人、炊き出し準備・地域活動等4,300人で、これを合わせると1日平均20,000人にのぼりました。
ボランティアに参加した人数の累計は、震災が発生した1月17日から1ヵ月間で延べ62万人、同年3月16日までの2ヵ月間で延べ100万人に達しました。
震災1年後の1996年1月20日時点では延べ137万7300人がボランティアに参加したと推計されています。

国も防災対策基本法にボランティアを明記
阪神・淡路大震災におけるボランティア活動を受けて、1995年7月には政府の「防災基本計画」が改訂され、「防災ボランティア活動の環境整備」「ボランティアの受入れ」に関する項目が設けられました。
また、同年12月の閣議了解により、毎年1月17日を防災とボランティアの日、1月15日から21日を「防災とボランティア週間」とする事が決められ、さらに同年12月の災害対策基本法の改正により、「ボランティア」と言う言葉が我が国の法律に初めて明記されました。

阪神・淡路大震災のボランティアの特徴
兵庫県が1995年2月から3月にかけて行った避難所のボランティアを対象に避難所のボランテイア活動の実態調査を実施しました。
調査喫下で見ると、性別は男性が52%、女性が47%で、ほほ半々でした。

若者が多く参加
年齢別では、20歳代が50%で最も多く、20歳未満の23%と合わせると、30歳未満が73%を占めていました。以下、30歳代10%、40歳代9%、50歳代以上7%であった。
職業別にみると、年齢とも関連するが、大学生・短大生・専門学校生が45%と最も多く、次いで、高校生以下12%、主婦9%、会社員8%、自営業4%、定年退職者1%でした。
なお、その他(フリーアルバイタ一、無職等) も21%あったことから、「無関心層」といわれた若者たちがボランティア活動を支えたことがわかります。
住所別では、県内35%、県外63%で、県外からのボランテイアが県内のボランティアの比率を大きく上回っています。
また、今回の災害で初めてボランテイア活動に参加した人が69%いました。

保育ボランティア
神戸の避難所では短期間ですが、伊勢湾台風の時と同様に臨時保育所が開設されました。
また、神戸市内の被災しなかった保育所は、一時保育として被災した子どもたちを受け入れました。

県外の自治体も支援
住居を失い大阪府などに一時的に転居した家族に対して、各地の自治体の保育所は定員外で子どもの入所を受け入れました。
保育関係者もボランティア活動に参加
全国の保育所からも保育ボランティアとして参加しました。労働組合の関係者や保育問題研究会でつながりのある方たちが多かったようです。
PTSDなど心理関係の書籍は多く出版されましたが、保育関係の記録は限られています。


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