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おのくん人形

東松島市は東日本大震災で大変な被害に遭った自治体のひとつですが、小野地区の仮設住宅で生活するお母さんたちが、仮設住宅の集会場を利用して震災の翌年からおサルさんの靴下人形(ソックスモンキー)を作り始めました。
1つ1,000円で里親に


手作りのため、子ども用から成人女性、男性用の靴下など、大きさもデザインも違います。
1つ大小に関係なく、どれでも1つ1,000円です。復興の願いを込めた人形は、購入するではなく里親なるということで、分けていただきます。
現在、仮設住宅は無くなりましたので、陸前小野駅前の「空の駅」という店舗で購入できます。
被災地ツアーでは毎回訪問していますが、保育士のみなさんには好評で、お土産としてたくさん購入されています。
お母さんたちの思いを踏みにじってはいけない
メルカリなどのフリーマーケットでは、おのくん人形が2,000円以上で売られています。
復興の願いを込めて作られた人形で儲けるとはなんと情けない話でしょう。
被災地を訪れる方は、ぜひ「空の駅」にお立ち寄りください。
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いち早く避難した門脇小学校
震災遺構として保存

2011年7月撮影
門脇小学校は、2019年末より震災遺構として保存するために、工事に入りました。
東日本大震災の石巻市の犠牲者は、3,975人で、門脇小学校のある門脇・南浜地区では約500人が犠牲となりました(2018年9月現在)。
大津波警報発令
地震発生時、1・2年生は帰宅しており、残っていた生徒224人に対し、鈴木洋子校長は第一次避難として校庭に生徒を避難させました。
防災放送からは、大津波警報の指示が流れました。
保護者、住民と共に山に避難
15時過ぎ、校舎西側横の階段で裏山の日和山に避難を開始し、下級生の手は上級生が握りました。
学校に迎えに来ていた保護者、その場に避難していた地域住民も一緒に行動しました。
東北の学校の中でも、いち早い避難でした。
その後も学校には地域住民が避難してきて、校庭には車100台くらいとなり、教頭を含む4人の教員が誘導に当たり日和山に避難するよう伝えました。
住民を校舎に誘導
津波到達時、教頭たち教員は、その場にいた30人ほどの住民を校舎2階に誘導しました。
1階は水没し2階も危険と判断し、2階から裏山に教壇を渡して乳児を連れた母親、高齢者片腕を失った人などを山側から支援に駆けつけた消防団員や地域住民の協力を得て避難させました。
校舎は炎上
生徒が避難してから30分後に津波が学校に到達しました。津波は、火のついた家も流してきたため校舎も炎上し、3日間燃え続けました。
生徒の引き渡しは、日和山公園の鹿島神社に避難し、安全を確認した後におこなわれました。
7名の生徒が犠牲に
早めの帰宅をした1・2年生の中で学校に避難しなかった7人が津波の犠牲となりました。
いち早い避難をすることと共に校庭ではない安全な場所に避難した後での引き渡しが重要です。
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聖火リレーの出発点 Jヴレッジ(2013.3)

写真はわかりにくいですが、2013年3月にいわき市の学童保育所を訪問した際に案内してもらい撮影したJヴレッジのスタジアムの写真です。
第一原発の水素爆発(3号機は核爆発だったとの見方もあるようです)以降、復旧作業の前線基地になりました。
撮影した当時、グラウンドは作業員の宿舎になっていました。
Jヴレッジは東電が130憶円で建設し、福島県に寄付したものです。この地を聖火リレーの出発地とすることで政府としても安全性を強調したいのでしょう。
ちなみに、ワールドカップでは、全日本チームのメンバーがここで最終合宿をする場所でもあります。
ホットスポットがあるとの報道
2019年12月4日、グリーンピース・ジャパンは以下の内容を公表しました。
「グリーンピースの調査チームは10月26日、Jヴィレッジで約2時間調査を行い、複数のホットスポットを発見しました。特に、トレーニングセンター近くの駐車場は、放射線量が地表面で毎時71マイクロシーベルトに上り、これは、除染の目安である毎時0.23マイクロシーベルトの308.7倍、2011年3月に発生した東電福島原発事故前のレベル(毎時0.04マイクロシーベルト)の1,775倍になります。」
とても心配な報道です。復興宣言は、本当に安全を確保してからにしてもらいたいです。
総工費13億円の認定こども園

2枚目の写真は、同日の楢葉町の認定こども園です。現在はやっと再開されましたが、長期間閉鎖されていました。写真の通り立派ですが、総工費は13億円で、東電が10億円を寄付しています。
原発がある地域では、補助金漬けにより地元が反対できない仕組みが作られています。

3枚目の写真は、国道6号線です。当時は、楢葉町で通号止めとなっていました。
目に見えない恐怖を感じました。
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津波が想定される地震時の引き渡しの是非 その3
日和幼稚園の園児5人の死亡で和解成立―地裁は園側の過失認定―

写真は2011年9月時点の日和幼稚園

この場所で焼け焦げたバスが発見された
宮城県石巻市のあった私立日和幼稚園は、震災後、園庭に避難していましたが、2台の送迎バスを出し、その内の1台は海沿いの地区に回りました。
12人の園児と運転手、添乗員が乗車し、途中で7人が下車しましたが運転手を除く園児5人と添乗員1人が津波の犠牲となりました。亡くなった4人の子どもの保護者が園に対して民事訴訟を起こしました。
もう一台のバスは引き返す
もう一台の大型バスも園を出ましたが、運転手はバス会社の勤務経験があり、非常時の訓練も受けていました。
ラジオをつけ大津波警報の報道を知ると共にすでに渋滞が始まっていることから自分自身で判断し、園に引き返しました。
被災したバスも引き返す機会はあった
圓の送迎バスを津波想定区域に出した園長の責任は決定的に大きいが、引き返すチャンスはなかったのでしょうか。
バスの運転手はアルバイトで緊急時の訓練は受けていませんでした。
バスのラジオをつけていないことも大型バスの運転手との違いが表れています。
門脇・南浜地区の園児を家庭に送り届けようとしたものの、ほとんどの家族はすでに避難していました。
家族の避難先の門脇小学校に寄りますが、そこに園長の指示を受けた教諭2名がすぐに引き返すように運転手に伝えています。
教諭は伝えた後で階段を昇り園に戻っています。危機感のなさがわかります。
園の近くには防災無線で繰り返し大津波警報を伝え、すぐに高台に避難するように指示しています。
裁判では、教諭たちは防災放送は聞こえなかったと証言していますが、裁判所は信じがたいと否定しています。
防災無放送は門脇地区でも流れていましたので、運転手も聞いていたはずです。
階段を昇れば数分で帰園できましたが、そのままバスを発車させ、大渋滞に巻き込まれ津波に飲み込まれています。
仙台地裁の判決
仙台地裁は、1)園のマニュアルでは災害時は保護者に引き渡すとなっていたにも関わらず通園バスを出したこと、2)大津波警報が発令されているにもかかわらず津波想定区域にバスを出したこと、について園側の過失を認定し、仙台高等裁判所の控訴審において和解が成立しました。
和解内容は、園側は6,000万円の賠償と共に、園側の法的責任を認め謝罪すること、津波に対する防災体制が十分でなかった ことを認めることが含まれました。
この点こそ、遺族が訴ったえたかったことだと思います。
安易に「保護者に引き渡せばよい」とする考えを捨て、遺族が伝えたかったことを、私たちは受け継がなければならないのではないでしょうか。
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野蒜小津波訴訟では友人に引き渡し後の死亡で賠償命令
宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校では、保護者の友人に生徒を引き渡した後に津波の犠牲とななった女児の保護者が学校を相手に裁判を起こしました。以下、新聞報道の要約を紹介します。
2016年3月24日、宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は1人の遺族に対する市側の責任を認め、約2660万円の賠償を命じた。市の責任が認められたのは、教諭の判断で同級生の親に引き渡され、小学校より海側の自宅に帰宅し死亡した小学3年の女子。
判決理由で、大嶋裁判長は「自宅に戻るためには市の津波浸水予想区域を通過しなければならず、帰宅途中や帰宅後に津波に巻き込まれる可能性は具体的に予見できた」と指摘した。
訴えによると、同小3年だった女子児童は、体育館で友人の親に引き渡されて自宅に向かい、津波にのまれたとされる。判決は、この女子児童について学校側の責任を認めた。
遺族側は「カーラジオなどで情報収集をしていれば、大津波が来ることは予測できた。防災計画が定めていた校舎の2階以上に避難させれば、死亡しなかった」と主張。児童についても「自宅は学校より海側にあったのに、安全を確認しないまま帰宅させた」と訴えていた(朝日新聞)。
学校の過失確定 最高裁、市の上告棄却
2018年5月31日 、最高裁第2小法廷(山本庸幸(つねゆき)裁判長)は30日付で、児童遺族に対する学校の過失を認定し、市に約2600万円を支払うよう命じた1、2審判決が確定した(毎日新聞)。
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