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東北の保育者たちに学び、備える~巨大地震が来る前にできること

元・名古屋短期大学保育科教授まきさんと一緒に考える保育所・幼稚園の震災・防災・地震対策

日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震の被害 最大19万9千人が犠牲

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日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震の被害 最大19万9千人が犠牲
千島海溝 国土交通省
国土交通省ホームページより


2021年12月21日、内閣府(防災担当)は、「日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震の被害想定について」を公表しました。

日本海溝沿いの巨大地震

冬の深夜に発生するという最悪のケースでは、死者は最大で19万9000人に達するという想定です。負傷者数も最大で2万2000人、津波被害に伴う要救助者は最大で6万9000人、低体温症要対処者数も4万2000人が想定されています。
建物への被害も最大で全壊棟数約22万棟が想定されています。全壊棟数の大半は、津波によるものです。

千島海溝沿いの巨大地震

内閣府は、日本海溝増と共に、千島海溝沿いの巨大地震も想定しています。
死者は最大で10万人、負傷者数も最大で1万人、津波被害に伴う要救助者は最大で4万1000人、低体温症要対処者数も2万2000人が想定されています。
建物への被害も最大で全壊棟数約8万4000棟に上り、全壊棟数の大半は、津波によるものです。

なぜ日本海溝・千島海溝沿いなのか

東日本大震災を発生させた地震は、太平洋プレートが北米プレートに沈み込む日本海溝沿いで起こりました。
毎年、8センチメートルほど日本列島(北米プレート)の下に太平洋プレートが沈み込んでいる場所で発生しましたが、日本海溝では千葉県沖と岩手県から北海道にかけての地域のプレート境界はずれていなかったため、ひずみは溜まったままでした。
千島海溝も日本海溝沿いにあるため、今回の想定はひずみ後残っている地域の被害を想定しています。

対策すれば被害はかなりおさえられる

今回の被害想定は、現状で最大規模の地震が発生した時を想定していますが、被害の多くが津波によることから、事前の対策を取れば被害はかなりおさえられます。
内閣府の想定では、住民が防災意識を持つこと、建物の耐震化、すばやい津波からの避難行動と避難タワー、備蓄の備えなどをとれば、被害は大幅に減らすことができるとしています。

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第30回公立保育園園長・主任・中堅職員セミナーのレジュメ公開

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第30回公立保育園園長・主任・中堅職員セミナーのレジュメ公開

全保連のセミナーに参加

2020年1月12日、全国保育団体連絡会主催の第30回公立保育園園長・主任・中堅職員セミナーが名古屋市で開催され、「災害に保育所はどう備えるのか 各地の教訓から学ぶ」をテーマに講演と参加者のみなさんと交流を行いました。
当日配布されたレジュメを紹介します。


資料をご覧になりたい方はここをクリックして下さい。

マグニチュードと震度の違いは?

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マグニチュードと震度の違いは?
マグニチュードとは


マグニチュードは、地震そのもののパワー(大きさ)を示すものです。
日本で記録された観測史上で一番大きな地震は、2011年3月11日に発生した東日本大震災のマグニチュード9.0です。世界では、1960年5月22日のチリ地震で、マグニチュードは9.2から9.5です。
あまりピンとこないかもしれませんが、神戸市の人と防災未来センターの模型で説明します(写真)。

防災センター3
人と防災未来センター
防災センター1
展示されているマグニチュードを示す球体模型

写真の下段左から2番目の球が2015年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でマグニチュードは7.3でした。東日本大震災と比較するとかなり地震の規模としては小さいですが、神戸市の直下で発生しましたので、兵庫県南部・淡路島北部で最大震度7、死者・行方不明者は6,437人が出ました。
写真下段の一番左の球は1891年10月26日に発生した濃尾地震のマグニチュード8.0で、直下型地震としてはわが国最大規模の地震で死者7,273人の犠牲者が出ました。
そして上のひときわ大きな球体が東日本大震災のものです。

震度とは

一方、震度は、7が最大です。
同じマグニチュードの地震でも、親が一に近いと震度は大きく、震源地から遠く離れれば震度も小さくなります。
震度7は過去に5回観測
震度7を計測した地震は、阪神・淡路大震災、新潟地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震の5つの地震です。
東日本大震災の時は、宮城県栗原市が震度7でしたが、東京都の最大震度は5強でした。震度5強でも首都機能はマヒしましたが、震源地に近い宮城県と比較すると震度も被害も少ない状況でした。

1.災害時の保育の取り組みは伊勢湾台風の支援から

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1.災害時の保育の取り組みは伊勢湾台風の支援から

被災した子どもたちに保育で支援する取り組みは、伊勢湾台風時の復興支援から始まりました。

死者・行方不明者5,098人

1959年9月26日から27日にかけて上陸した台風15号(伊勢湾台風)は、愛知県の伊良湖で最大風速55.3m/sの猛威を振るい、東海地方を中心に死者・行方不明者5,098人の犠牲者を出しました。
全国一の海抜ゼロメートル地域を抱える濃尾平野の浸水区域は名古屋市南部、愛知県西部に及び冠水は場所によって3か月以上に及びました。
臨時保育所の開設
家を失った被災者は、計261か所の指定避難所で最長で60日間の生活を続けた。被災者は、小さな子どもを背負い肉親の捜索、自宅の片づけなどに追われ、子どもたちに向き合う余裕もありませんでした。
子どもたちの心も不安定な中、学生ボランティアが中心となり同年10月から11月にかけて16か所の避難所に臨時保育所を開設して保育活動をおこないました。
保育ボランティアの中心は大学生
保育活動に参加したのは、名古屋市内立保育短期大学、愛知県立女子大学、金城学院大学、柳城女子短期大学(校名は当時)の学生たちで、他に名古屋市保母(現・保育士)、大学教員なども支援に入りました。
名古屋市南区弥次ヱ町の応急仮設住宅では、大学生たちが名古屋市と交渉して元養鶏場の事務所を借り受け、日本福祉大学、名古屋市立保育短期大学、金城学院大学の学生が中心となり、認可外のヤジエセツルメント保育所を開設しました。
市役所まで押しかけて交渉したそうです。
註1)名古屋市「伊勢湾台風災害誌」(1961)より。

レンガの子どもの誕生
レンガの子ども

翌年、東京保育問題研究会から原田嘉美子氏、河本ふじ江氏を専任保母として迎え入れ、1962年8月まで活動を続け、東芝日曜劇場でもドラマ「レンガの子ども」として紹介されました。
また、同年、「レンガの子ども」が出版され、保母などによるレンガの子どもの実践を検討会の取り組みから名古屋保育問題研究会が誕生しました。
保育所作りと実践研究の取り組みは、その後の愛知県における共同保育所作りの原点になりました。
註2)河本ふじ江「レンガの子ども」ひとなる書房(2009)より。
菜の花保育園の誕生
同年9月28日、日本キリスト教団は被災者の救援活動を開始し、救援物資の配給、医療救援活動などと共に臨時託児所の活動を行いました。
その活動は1961年3月31日に社会福祉法人の認可へとつながり、定員30名の名古屋キリスト教社会館保育部(現・菜の花保育園)が誕生しました。
註3)谷川修『50年の歩みをふりかえり、100年を見据える』「社会館の福祉vol.50」名古屋キリスト教社会館福祉研究所(2015)より。

伊勢湾台風時の救援活動は、被災した子どもと保護者を保育で支える活動を行っただけでなく、その後の保育所作りにつなげたという意味でも画期的でした。

2018年12月大阪市で保育施設の防災をテーマに講演をさせていただきました

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12月2日、大阪市で大阪保育運動センター主催による特別講座で講演のレジュメです。

★18.12.2大阪講演・東北の保育者から学ぶレジュメ(PDF形式)
(無断転載・複製、データの利用はご遠慮ください)


当日は、40名ほどの保育関係者が10:30から16:00までの長時間に渡る話を熱心に聞いていただきました。


大阪では今年の6月に大阪府北部地震があったばかりですが、さらに南海トラフ地震でも、太平洋側が大変な被害に遭うことが予想されます。
最大で32万3000人の犠牲者が出ると予測されています。


今日、講演した大阪は内閣府の予測では、最大7700人が犠牲となると予測していますが、大阪府は独自の分析を行い、最大で13万人を超える犠牲者が出ると予測しています。

しかし、大阪に津波が到達まで2時間程度の時間があることから、しっかりとした対応をすれば、限りなく犠牲者はゼロに近づけることができます。


一人でも多くの人が東北の先生たちの話から学びを得て、しっかりとした準備をされることを願っています。

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